揺らぐバランスが大事

休職日記(休職の心得)
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20XX年〇月△日(休職から371日目)

気分:5
楽しさ:4-5
重要:5-6

バランスって難しいなって思う。
ここ最近上手く行っていたと思う方法が、
未来永劫上手くいくとは限らない。
もしその時の最善の手法だとしても、それがマンネリ化して、
最善が最善でなくなることもある。

何事も『過剰』って良くないんだなぁって最近は思う。
例えば、全く何もしない日々を毎日送るのはあまり良くない。
ただ寝続けて家から一歩も出ない日々がずっと続くと、メンタル不調に陥っていく。
でも、だからといって、今度は活動し過ぎてしまうのもあまり良くない。
例えば毎日24時間休むことなく仕事や旅行などで動き続ける。
これも躁状態になり体力が限界を迎えてココロもカラダも不調になる。

何事も『ほどほど』がいちばんだ。
でも、その『ほどほど』っていうのが難しい。
どうやって調整すればいいんだろう。
いい塩梅が分からない。
いい塩梅を見つけた!っと思っても、次の瞬間にはいい塩梅じゃなくなっている。

デイケアの職員さんが教えてくれた。

完全なるバランスではなく、揺らぐバランスが大事。

落ち着かないし不安になるけど、揺らいている状態が『ほどほど』ってことなんだ。
それでいいんだって思えた。

活動を抑える目標が失敗?

あるデイケアの職員さんに言われた。
同じことをカウンセラーにも言われた。
主治医も言っていた気がする。

フラットな状態に戻ることが目標じゃないですか?

僕の場合、活動し過ぎて、軽い躁状態になっているのが、
初診の時より重症って思われたんだと思う。
実際、「24時間戦えますか?」っていう働き方を約10年間続けてきたから、
双極性障害の一歩手前だったのかなって思う。

その助言を貰ってから、いろいろなことを試してきた。
そして「予定を詰め過ぎない」が上手くいって、
これをやるとメンタルが少し安定した気がして、
最近は「予定を詰め過ぎない」を目標にしてきた。

平日はリワークプログラムが終わったら真っ直ぐ家に帰り、土日は家で休む。
しかし、なんかここ最近は気落ち気味だった。

今日は午前中にデイケア行った後、午後は持病の定期健診日で出掛けることに。
予定より検査も問診も早く終わり、久しぶりに少しだけ遠出し、
趣味のサウナと外食を楽しんだ。

すると、あんなに気落ち感が強かったのに、なぜか開放感が生まれ、
自然と下に俯きがちだったのが、上を向いて微笑んでいる自分がいた。
そっか、平日は真っ直ぐ家に帰り、土日は家でゆっくり休む日々を過ごしていくうちに、
達成感と自己効力感が薄くなり、マンネリ化して逆にメンタル不調に陥っていたんだ。

バランスって難しい。
揺らぎながら微調整していくしかないんだなぁ。

仕事に対する想い

午前中のリワークプログラムでは、グループディスカッション。
過去の仕事に関して振り返りになった。
話しているうちに、気付いたこと。

あぁ、自分は「縁の下の力持ち」で貧乏くじを引いているって認識しているんだなぁ。

また、僕自身は「自分から話すのが苦手」って認識でしたが、
周囲からは「この中で誰よりも話すのが得意でしょ」と言われ、
自他でのギャップに驚いた。

同じようにギャップで驚いたことが、次の質問だ。

サトウサンって、仕事やりたいんじゃないですか?

これには驚いた。
自分では仕事はもうコリゴリっていう恐怖心などの負の感情があったからだ。
そう言われて、プログラム後に考えてみた。

たしかに、当時の役割的にはプライドがあったんだと思う。
「人の役に立ちたい」という僕の価値観に沿っていたんだと思う。

でも、その役割を全うするためには、時間と労力と精神的負担が、あまりに大きい。
負担が大きすぎて、もうあの苦しみを味わいたくないという感情が、
仕事に対する負の感情の源泉なんだなと思った。

仕事に対する想いも、「完全なるバランス」ではない。
それは混ざり合って一色になるのではない。
いろんな色が複数ちゃんとあって、それらが散らばっている。
ある時は赤色、ある時は青色って、刹那的に変わっていく。
仕事に対する想いも、そういう揺らぐバランスで良いんだと思う。

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