20XX年〇月△日(休職から176日目)
最近ふと思うことがあった。
やさしさの種類って色々だなって。
日本という国で100%の悪人ってあるだろうか?
僕は本当に限られた人数だけだと思う。
そういう人は稀にサイコパスと呼ばれるのかもしれない。
本来なら人間は人に優しくすると自分も幸せになるという感情を持っているはずだ。
そして日本という恵まれた国なら、教育や環境でも「やさしさ」を育めると思う。
そう考えると、誰しもが「やさしさ」を持っている。
ただ、そのやさしさには種類があるんだなって思う。
多種多様な「やさしさ」のなかで、僕のなかでは大きく2つに分類されるのかなって思ったんだ。
- 合うやさしさ
- 合わないやさしさ
今まではすべてのやさしさを受け止め、それに応えなきゃと思ってきた。
でも、これからは自分を大切にする。
無理をしない。
頑張り過ぎない。
そのためにも、「合うやさしさ」だけにフォーカスして大切にしていきたい。
そう思ったんだ。
合わないやさしさ
ある人はこんなやさしさがある。
いつも目を掛けてくれて、大人数の飲み会を企画し声を掛けてくれる。
そして多くの方々に紹介してくれ、新しいご縁を頂ける。
「もっとこうした方が良い」と助言をくれ、
時には僕がそれを実行するために予定を組み、一緒に行動して見届けてくれる。
僕に必要だと思った時には「これあげる」と色々モノをくれる。
僕にとって新しい生き甲斐や趣味、知見を得るきっかけをくれた恩人だ。
本当に感謝している。
しかし一方、苦しくなる時もある。
あいつはこういうところが気に入らない。
サトウサンもそう思わない?
いや~サトウサンは本当いい奴!
自分が許せないと思った人には厳しい。
大勢の飲み会の場でも、ジョークなのか本音なのか分からない。
それは違うでしょ!
サトウサンはこうすべきだって!
前も言ったのに未だやらないんだね!
その人のペースで興味が出た時などには僕の話を聞いてくれている気がする。
一方、その人の価値観に合わない時、
その人が面白くない時には、意見をぶつけたり茶化したりする。
僕はそれを「押し付けるやさしさ」と名付けたい。
合うやさしさ
一方、ある人は自分からアクションすることは少ない。
しばらく連絡が繋がらない時もあった。
実際に会うと人脈の紹介や、いきなりの助言は無い。
まずは静かにゆっくりと僕のことを聞いてくれ、気付けば僕は自然と話している。
相手は静かにゆっくりと微笑み頷き聞いているだけ。
それでも普段は何を話そうと緊張することもある中、
その時は話したいことが溢れ出てくる。
そっかぁ。
サトウサンは○○と思ったんだね。
それでその後どうしたの?
そっかぁ。うんうん。
サトウサンは○○したんだね。
すごいなぁ。えらいなぁ。
その人から具体的な助言や知識は未だ出てこない。
でも僕を理解しようと努めてくれていることが凄く伝わってくる。
だから自然と話が盛り上がる。
話が進んでいくなかで、ポツリポツリとその人も自分の話を交えてくる。
私はは〇〇だったんだぁ。
それぞれ色々あるね。
あくまで参考程度なんだけど、私は○○だと良いと思ったんだぁ。
サトウサンは△△が良いと思ったんだね。
たしかにそっちだとこういう面が良いね。
自分の意見はあくまで控えめ。
でも遠慮がちに出てくる意見は非常に濃厚で、その人の知恵が詰まっている。
そこから学べる考え方が沢山ある。
僕はそれを「受け止めるやさしさ」と名付けたい。
居心地がいいやさしさを
どちらも本当のやさしさなんだと思う。
でもなぜか、片方が息苦しくなってしまう。
もう一方は安心感があるんだ。
それはもう、相性なんだと思う。
「相手のやさしさに失礼」と思い全部のやさしさに思いやりを持ってきたつもり。
でも、自分を大切にするためには、
無理せず頑張り過ぎないためには、安心感がある相性の良い「合うやさしさ」に資源を集めなきゃやっていけないと思う。
だから、感謝を持ちつつも、合うやさしさを特に大切にしていきたい。
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