休職に至る源流

休職日記(休職の心得)

20XX年〇月△日(休職する約10年前)

気付けば地面に額を擦り付けていた。
テレビでしか見たことなかったのに、まさか自分がやることになるとは。

向かい側には営業部長と営業課長が座っている。
思うことは山ほどある。
でも、これが会社員ってことなんだと言葉を飲み込んだ。
社会人2年生には普通の基準が分からない。

この時から始まったのだ。
矢面に立つこと。
痛くても黙って耐えること。
負の感情を貯めていったのは。

営業部への異動

もともとは違う部署にいた。
それが営業部へ異動になった。
理由は、若手男性社員の欠如。

営業部には、おじさんか若手女性社員しかいなかった。
役職なしの男性社員は退職してしまったらしい。

僕の役割は力仕事と運転手だった。
若手女性社員たちも免許は持っている。
でも、上司たちの台詞は決まっていた。

ああいいよいいよ。君たちはやらなくて。
おいサトウサン、お前がやれ

若手女性社員たちは担当を持ち、評価される仕事が中心だった。
僕は雑務ばかり。

でも与えられた仕事は全力でこなした。
少しでもみんなの役に立てるなら。
おかげで車の運転も、ビジネス数字も上達したと思う。
今思えば良い経験だったのだろう。

営業部長からの圧力

暫くすると営業部長が目にかけてくれるようになった。
当時の僕には絶大な発言力と影響力を持つ方に思えた。
商談には呼んでもらえるし、会議や飲み会では皆の前で褒めてくれるようになった。

しかし、事態は一変する。
ある日、営業部長と課長と飲む機会があった。
営業部長は自分の営業スタイルを僕に伝授したかったのだろう。
ゴルフ接待を強要した。

怒らないから思っていることを正直に言ってみと営業部長。
社会人2年目の僕は、その言葉を信じてしまった。
「ゴルフなしでも営業は出来ると思います。」
「休日でもサービス残業扱いで接待をやりたくない。」

今でも覚えている。
営業部長は無表情で告げた。

お前のことが嫌いになった。
どんな手段を使ってでもお前を会社から追い出してやる。

隣に座っていた課長は黙って僕を見下ろしていた。
そういえば退職した若手男性社員の1人は営業部長の圧力が原因と聞いていた。

気付けば泣きながら謝罪していた。
何が悪いのかは分かっていない。
でも、居酒屋の床は冷たかったのを覚えている。

この日から状況は一変した。

自力でどうにかする

それから営業部長の圧力が始まった。
仕事を振られるが、明確な指示はない。
報告すると「違う、そうじゃない」と怒られる。

そんなこともできないのか!?

と人格否定も交え説教が始まる。
さすがに初めてで何も教わらずに完璧に熟すのは無理だった。

またある日、営業部長と出張行った居酒屋でのこと。

安心しろ。どんな手を使ってでもお前をクビにしてやるから。

ここ数か月、朝会社に近付くと腹痛で動けない時間があった。
流石に限界だ。
上司の課長に電話で訴えた。

改善できるところは改善します。
でもクビにすると言われて、僕は何を直せばいいんですか?
僕のどこが悪いんですか?

藁にも縋る気持ちで尋ねた。
でも、相手は無慈悲だった。

営業部長がそう言うのだから、営業部長が正しいんだろう。
君が間違っているんだ。
どこが悪いのか、自分で考えなさい。

課長は営業部長の推薦で課長まで出世が早かったと聞いたことがある。
そりゃ、営業部長を敵に回すより、社会人2年目を切り捨てた方が利点は多い。

結局、両親や友人、知人に相談した。
いろいろな手法を教わった。
当時会社で一番信頼できる人に相談し、その方の支援で人事部長と面談する機会が得られ、
営業部長が僕と関わらないように配慮がされた。

そして僕は耐える道を選んだ

結局、営業部の誰も助けてはくれなかった。
自力で多種多様な人に助けを求め、事無きを得た。
自分でどうにかしなきゃダメなんだ。

その後も部長、課長と言われる方々は、トラブルが起きると沈黙し、
従業員は誰かに責任の行方を求めた。

僕にはできなかった。
だから、自然と責任を被ることが多かった。
痛みを伴う後始末をやらさせることが多かった。

怒り、不満、理不尽、嘆き、苦しみ。
辛い感情が喉元に詰まっていた。
でも、結局吐き出すことはせず、全て飲み込むことを覚えた。
これが処世術ってことなんだろう。
この時から、痛みは全て飲み込んで、ココロにため込んできた。

そして、この時はまだ知らない。
営業課長が約10年後に人事部長になっていることに。

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