20XX年〇月△日(休職から234日目)
幸せってなんだろう?
幸せの基準って個人差がある。
幸せとみんな言葉にしながら、その中身はカタチが無くて、時々刻々と変化して、実は分かりにくい。
そんな実態が掴めない幸せって、穏やかな気持ちの時に現れる気がする。
その穏やかな気持ちになるのが難しいんだけど。
周りから訪れる出来事は変えようがない。
しかし、自身の捉え方は変えることができる。
まるでだまし絵みたいだ。
今回は日常のふとした些細な出来事でそう感じた場面があった。
他人の幸せを見た時
街中を散策していた時のこと。
若い男性が数人で歩いていた。
恐らく仲の良い友達なのだろう。
大笑いしながら話に夢中になっている。
しかし、話に夢中になり過ぎて、自分たちが狭い道を横並びで塞いでいることに気付いてない。
しかも歩行速度が遅い。
いやむしろ時々立ち止まったり、ふらふらと前後左右に揺れるから、
彼ら以外の人は、まるで避けながら注意深く歩かなければならず、
ちょっとした交通渋滞が後ろで発生していた。
こういう時、ついつい思ってしまう。
早く先に行きたいのに行けないじゃん。
邪魔だな~!
なぜ彼らの不注意に僕が振り回されなきゃいけないん?
こっちは速度変えずに歩いて体当たりでもしてやろうか?
足でも踏んでやろうか?
そしてこんなことを思ってしまう自分が情けなくて恥ずかしくて辛くなる、嫌になる。
外部からの変えようのない出来事のせいで、自分自身が嫌な思いをするはめに。
どうしたらいいんだろう?
幸せをお裾分けしてもらう
モヤモヤした気持ちのまま、カフェへ。
たまたま広めの席が空いていてラッキー。
しかし、今度は隣席で若いカップルが盛り上がっている。
まるでこの世界に自分たちしかいないような雰囲気で、
一瞬一瞬にのめり込み、表情が豊かに変わる。
笑い声と甲高い台詞と震動が止まることは無い。
こういう時、いつもならこう思う。
いいなぁ~。チクショウ!
しかし、今日はなぜか違う考え方が出来た。
フフ、幸せそうで何より。
こっちまで微笑ましく思ってしまう。
幸せオーラをお裾分けしてもらっているな~
すると、なぜか自分が凄く幸せな気持ちになれた。
自然と思い浮かんだ考え方。
この考え方にハッとした。
そうだ、これからは「幸せをお裾分けして貰う」と思えばいいんだ!
捉え方で世界は変わる
帰り道、また複数人の若い男性が大笑いしながら話に夢中になり過ぎて道を塞いでいた。
少しムッとしそうになる。
しかし意識的に考えてみる。
彼ら楽しそうだなぁ~。
キミたちの幸せオーラ、お裾分けしてもらいます!
そう思って、後ろをゆっくり歩いていると、あら不思議。
なぜか穏やかで幸せな気持ちになれた。
さっきまでは彼らの行いのせいで、僕の時間や気持ちが奪われた気分になった。
しかし捉え方を変えただけで、今度は僕が彼らから幸せを貰っている気分に。
彼らの楽しそうで幸せそうな笑顔。
この世界、この時間は幸せが満ち溢れていると思わせてくれる。
それだけでさっきまでの嫌な気持ちがウソのように、
逆に幸せをお裾分けしてくれて有難うという感謝の気持ちになる。
おかげで気持ちよく帰路につくことができた。
外部からの刺激や出来事、事実は変えることができない。
それは自分の裁量を超えた範疇だから。
しかし、自分のココロの持ち様は自分の裁量内。
だから、外部からの刺激の捉え方を変えよう。
前向きに、自分が幸せになれる方向に捉え方を変えてみよう。
少しずつでいい。
少しずつ意識していくだけで、景色が違って見えてくるから。
例えあなたの環境の刺激が辛く厳しくても、
あなた自身のココロは穏やかで幸せに満ち溢れてほしい。
コメント