立ち止まる怖さ

休職日記(休職の心得)

20XX年〇月△日(休職から107日目)

人には恵まれている。
肉親には心配されているし、友人や仕事仲間もときどき気にかけてくれている。
それは分かっている。

それでも勝手に感じてしまう。
周囲と徐々に距離が開いていくことを。
そのうち何も見えなくなりそう。
ハッキリとは掴めない。
それが堪らなく怖いんだ。

自分で自分を堕としてしまう

仕事仲間とLINEをしていた。
普通の会話だった。
そのはずだ。
でもなぜかこう思ってしまう。

あぁ、立ち止まってる僕に
合わせて会話してくれてるんだな。
気を遣わせてるな。

会社の先輩と会うのが中止になった時もそうだった。
理由が子育て関連だから仕方ないのは分かっている。
でも別の自分が頭で囁いてくる。

もう過去の人だから、
徐々に距離を取っているんだよ

こんなこと思うのは先輩に失礼だ。
先輩のことは信じている。
でも、自分のことが信じられない。
別の自分が言ってくる。

休職して立ち止まったお前に
価値なんてない。
関わるだけ時間の無駄だ。
君に構ってる暇なんて誰にも
無いんだよ。

自分で自分を貶めてしまう。

勘が鈍っている

仕事仲間とのLINEで、少しでも役に立ちたかった。
休職で多大な迷惑をかけているから。

でも、相手の目線で考えられなくなっている。
相手の気持ちを想像できなくなっている。

「受け止めてほしいのか」
「助言や意見を求めているのか」
「同調してほしいのか」

潜在的な相手の渇望が汲み取れなくなっている。
せっかく相手が気にかけてくれているのに、
見当違いなアクションばかりしてしまって、何も相手にお返しできない。

現場を離れて休んでて、感覚が掴めない。
もうみんなと同じ目線で考えられない。
多くの人が気にかけてくれているのに、孤独だ。

救いの言葉

主治医とカウンセラーから、「もっと感情と吐露していい」と言われていた。
だから、この気持ちも吐露してみることにしたんだ。
信頼している人は答えてくれた。

ジョークなの?
サトウサンは凄い人なのに。
みんなサトウサンは出来る人って言ってるよ。
人の良いところはよく気付くのに、意外と自分のことは見えてないんだね。

それは救いの言葉だった。
僕は僕自身を立ち止まったダメな奴と思っても、相手は違う評価かもしれない。
そして、立ち止まってしまったからこそ、遥か先を歩いている皆には見えない景色が見えるかもしれない。
皆が当たり前に出来ることが今僕にはできない。
でも、皆ができないことが、僕にできるようになったかもしれない。
頑張ろう。

生きていてよかった

立ち止まって初めて体感した。
立ち止まると忘れられてしまうのだと。

あの時、たしかに僕は死力を尽くした。
プロジェクトは無事成功したと聞いている。
誰よりも努力したとプライドを持っている。
休職直後は周りから温かな声もあった。

あれから107日。
みんなは歩み続けている。
もう次の課題と戦っている。
あの時のことは、みんなにとって過去のこと。
あの時から止まっているのは僕だけ。
僕は覚えているけど、みんなは忘れないと明日に進めない。
僕の存在も薄い記憶の残像に過ぎなくなってくる。

これが死ぬということなんだと感じた。
どんなに偉業を成し遂げた人でも、どんなに感動を生んだ人でも、
立ち止まれば過去の人になり、忘れ去られてしまう。

あの時、僕は死力を尽くした。
毎朝、「これでダメなら死のう」と唱えて出勤した。
良かった。
あの時、踏切で踏みとどまって良かった。
あの時、屋上に行かなくて良かった。
どんなに惨めに感じても、歩き続ければ次の景色が見えてくる。
生きていることに意味がある。

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