死は最後の救い

休職日記(休職の心得)

20XX年〇月△日(休職から123日目)
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死んじゃおっかなって思った経験ないだろうか?
読者の中には多い気がしている。
死力を尽くしてきた人,何度も挫折してきた人ほど考えるフレーズだろう。

最近、良くも悪くも休職に慣れ始めた。
周りの反応も一部変わってきている。
なかには、「仕事もろくに続けられない穀つぶし」って態度を取られることもある。
僕はそう感じてしまう。

いっそ僕なんて死んだ方がいいんだろうな。
ちょっと真剣に考えてみた。
一番しっくり来た答えが「死は最後のご褒美」だった。

父親からの言葉

ここ最近は約1週間に1回、実家に帰っている。
休職中、ずっと独りだと気分が塞ぎ込む。
話し相手になってくれる両親には感謝している。

以前は公共交通機関を使い、途中でお土産も買っていた。
でも休職してからは1時間以上かけて徒歩で帰っている。
収入が減ったからだ。
徒歩だと道中に目ぼしい店もないので手ぶらだ。

だからだろうか。

飯が食いたいなら1200円。
払いたくなければ食べなくていいよ
そんな食べ方をするの?
(※マーボーナスととんかつを同時に食べる)
作ってくれた人(母親)のことを考えたら失礼だと思わない?
お土産も買ってこないのか?

家事手伝いくらいはしていたが、行動1つ1つに嫌味があった。
いつもコミュニケーションの1種で冗談で言ってくるが、
今回はいつもより頻度も多いし内容もきつかった。

何か僕が気付かないところで父親の気に障ることをやったのかもしれない。
でも、どうしても考えてしまう。
父の心情を。

(孫すら見せず仕事も休んで、
なんの役にも立たない奴だ。)

父は情に厚い人だ。
そんなこと思うような人じゃないことは頭では分かっている。
でも、上記は事実だと僕が想っている。

僕には兄弟がいる。
兄弟は僕と違い優秀だ。
就活も難なく最大手企業に決まり、素敵なパートナーを見つけ3人の子供に恵まれた。
既に孫を見せるという親孝行を達成している。

僕はどうだろう。
独身で、せめて仕事で成果を出そうと思ったが、過労で休職中だ。

見方を変えれば、
「せっかくここまで育てたのに何の成果もなく無駄遣いだった」
と思われても仕方ないなと思ってしまう。

僕って生まれた意味あるのだろうか?

周りの反応

そういえば先日、友人と遊んだ時もそうだった。
その友人は酒豪で、僕は自然とセーブしていた。

どーせ休みなんだからもっと飲めよ

その台詞に特に意味はないのだろう。
でも、僕には意味があった。
「どーせ仕事してない暇人」
「社会の役に立っていない穀つぶし」
それを自覚させられた。

久しぶりの不眠

昼寝をしたせいだろう。
久しぶりに寝つきが悪かった。

目を瞑ると、職場にいる。
ここ数年の仕事が瞬く間にフラッシュバックされる。
1分1秒を争う状況。
トラブルへの対応。
「サトウサン、どうしましょう」
「サトウサン、お前だけが頼りなんだ」
社内外からの要望に懸命に答え続ける。

次の瞬間。
場面転換する。
僕が居た場所には別の人が立っていて、
今まで頼ってきてた人々は僕を素通りしていく。
まるで見えていないように。
今まで心の支えにしていた信頼の眼差しは別の方に向いていて、
僕が話しかけようとすると「忙しいから邪魔しないで」と振りほどかれてしまう。

そして目を開け寝相を変える。
また過去の仕事が瞬く間にフラッシュバックされる。

同じ職場の人を幸せにしたい。
目の前の人の役に立ちたい。
それを願って死力を尽くした。
瞼の裏の世界では、僕は過去の人に変わっていく。
誰も相手にしてくれない。
・・・僕って何のために頑張ってきたのだろう。
何だったのだろう。僕の人生って。

死は最後のご褒美

実家からの帰り道。
気軽に死を考える。

先月に比べ気落ちすることが多い。
「何もかも失った」
何度も会ってくれる友人がいるのに、この言葉が頭をよぎる。

10年以上、仕事に命を懸けてきた。
本当は逃げたかったことも、誰かが犠牲になると思うと戦うしかできなかった。
ただただ目の前の人の幸せを願った。
いま、独身の精神疾患男性という肩書だけが漂っている。
最近見た戦争映画で、敗走するくらいなら自決を強要するシーンがあった。

目の前の横断歩道では車が行き交っている。
でも、赤信号で立ち止まった。
休職直前に相談した産業医が言ってくれた。

この場で死なないと約束して下さい

先日食事をした先輩社員に上記の出来事を話したら、

笑えねえよ

と真顔でこっちを見てくれた。
敬愛する人の死を止められなかったことを今でも後悔していると静かに強く続けた。

・・・死ねない。
僕の価値観の1つは「隣人を愛する」だ。
目の前の人の幸せを願いたいと思っている。
僕が死んだら、悲しむ人がいる。
死ぬことは許されない。

帰りは夜道で街灯も少ない。
「死んだら楽かもしれない」
言葉が溢れてくる。
目の前が暗い。
何か、暗闇でもしっかり歩けるきっかけはないだろうか。

死んだら痛いよ?

今も十分痛い。
周囲の声や目線が曇って見える度、途方もない鈍痛が響く。

諦めるなよ!
また起き上がればいい!
頑張れ!

頑張ってコレだったんだ。
医者やカウンセラーからは重傷だから絶対安静って言われている。
これ以上、何を頑張れと?

まだ道半ばだ。
諦めたら終了だけど、
諦めなかれば絶対達成できるぞ。

頑張ろうと思ったら、医者から無期限の休養を求められたんだ。
手は尽くしたんだ。
もう僕の居場所はないだろう。
またゼロから独りで戦わなければならない。
ちょっと、疲れたよ。

周りと比べなければいい。
自分なりに生きればいいんだよ。

父親の言葉を思い出せ。
周りが許してくれない。
周囲の評価が耳に入ってくるし、僕が僕自身を許せないよ。
自分の生きる価値を信じられない。

いろいろ考えたけど、目の前がどんどん暗くなり、足取りが重くなった。
そんなとき、イヤホンから曲が流れてきた

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

中島みゆき「世情」より

本来の歌詞の意味は違うのだろう。
でも僕にはこう聞こえた。

会社のみんなは先に行っちゃった。
それでも僕は、僕の理念のために、最後まで戦おう。

ただただ隣人に幸せになってほしい。
それが僕の願いであり、祈りだ。

そうか。死ぬのはいつでもできる。
いつでも死んで楽になれる。
だから、死ぬのは最後に残しておこう。
醜く足掻き続けて、
それでもダメだったら、

頑張ったご褒美に死のう。

そう思ったら、目の前をしっかり見ながら一歩を踏みしめることができた。
よし、もう少し生きよう。

死ぬのは最後のご褒美
そう思えば何でもできる気がする。
今同じように苦しんでいる方がいたら、この言葉を胸に一緒に頑張れたら嬉しい。

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