オンとオフ/漠然とした不安

休職日記(休職の心得)

20XX年〇月△日(休職から273日目)

今日でリワークデイケア5日目。
先週の体調を踏まえ、カウンセラーから下記が宿題として挙げられた。
僕自身、その助言通り、今週の目標にしようと思っている。

  • 出来ない自分を許す
  • 気が楽なことをする

おかげさまで3日目にくらべ、4日目・5日目と思ったより気疲れは出なかった。
特に、ココロがザワザワし出した瞬間に「気が楽なことをやろう」と思うのは、
凄くココロが楽になる。
重荷が無くなる感覚だ。

しかし、上記を心掛けて新たな不安が出てきた。
多分、それが次の課題なのだろう。
見つめ合っていきたいと思うが、今現在はとてもツライ。

積極性が無くなる

「気が楽なことをしよう」
この心掛けはココロの不安を軽減できる。
しかし、その心掛けで選ぶ行動は、どうしても内向的になってしまう。
自分の殻に閉じこもる感覚。

例えば、リワークデイケアで次のプログラムが始まる前は受講者主体で準備をする。
机や椅子の配置変更,教材準備などだ。
心掛け前は分からないながらもいの一番に動き出し、誰かの役に立つように動いた。
しかし心掛け後は、本当は怖いからじっと静観する。
結局皆さんが動いて下さるから問題はないのだが、
周りからの好感や関心は得られない。
結果、自分から話しかけるのが苦手な僕は、どんどん孤独になる錯覚をする。
そうすると、人との関わりから得られる知見や心の豊かさ、成長、繋がりが途絶える。

うまく言葉にできていないかもしれないが、
「気が楽になることをする」という意識は、
メンタルストレスは軽減できるが、
内向化することによる協調性の低下、
協調性の低下による機会損失がリスクだと僕の場合は思った。

だから僕は頑張り過ぎてしまうのか

僕は学生時代、行動しないという選択を取り続けてきた。
高校時代の交友関係でのトラウマで、何もしなければ誰も傷付かないし傷付けないと思ったからだ。

しかし、行動しないという選択では人との関わりも共感も殆ど得られず、
繋がりが希薄になり、自分の中だけで物事が進んでしまい、視野が狭くなる。
知見も限られ人間性も幸福度も未熟になる。

僕の場合、大変悲しいことに、漠然とした恐怖心から、
楽な方を選択すると行動しなくなってしまう。
でも行動しないという決断は、実は最も高リスクであることを僕は身を以て知った。

そうか、だから僕はココロをすり減らしても、自分らしくなくても、「忘己利他」の精神で行動する決断をしたんだ。
恐らく無意識レベルで今に至っているが、根源が見えた気がした。

オンとオフが答えかも?

どうすればいいだろう?
悩んだ末に、今現在思いついた対策が、「オンとオフ」だ。

今週は「気が楽になることをする」を目標にしている。
それはいつもそうしているってことだ。
すべて頑張り過ぎるのも、すべて気が楽なことをするのも極端なのかもしれない。
「all_ON」でも、「all_OFF」でもなく、
『ON & OFF』で使い分けがいいんじゃないだろうか。

ここは気合入れて頑張ろう!
ここは気が楽な方を選ぼう。
気を抜いて休もう。

いわゆるメリハリってやつだろうか?
これが次の対策案かもしれない。
でも独断でやるのは良くない気がする。
治療の一環なのだから、カウンセラーなど専門家に相談して検討していこう。

感謝を文字にすると良いらしい

今日のプログラム座学で、ストレス耐性には「感謝することでポジティブになる」ことが良さそうだと僕は学び取った。

声に出すのも大切だが、特に文字に起こすと良いみたい。
だから今日は今日の感謝を書きたいと思う。

リワークデイケア職員から先週の活動報告書でコメントがあった。
まず1週間通所し切ったことが大きな成果と書かれていた。
疲れ切るのは初めての経験で当然だとフォローしてくれた。
おかげで凄く気が楽になった。
そういった心優しきコメントに感謝。

リワークデイケア室長は誰もが安心感を持って接している。
本当は色々な課題を抱えているだろうに、それを全く感じさせない。
穏やかな口調でゆっくりと話しながらも、誰も傷付かず元気づける軽快なジョーク。
そしてたまに気にかけて声をかけてくれる。
そのやさしさに感謝。

受講者の皆さんにも感謝。
いつも積極的に話しかけ、話題提供してくれ、元気づけてくれてありがとう。
自身もココロと向き合って大変だろうに、その中で気配りをしてくれて、話をしたら温かく頷きや反応をしてくれてありがとう。
みんなで話している時に、少し入りづらくなってても、気にかけて話を振ってくれて、仲間に入れてくれてありがとう。
ここに書ききれない。
多くの方に、多くのありがとう。
おかげで頑張れる。

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