20XX年〇月△日(休職から361日目)
気分:4
楽しさ:4
重要:7
今日一日を振り返ると、自分自身の納得感が大事なんだなと思った。
朝から快適に過ごせ、基本独りで今日は過ごしていたが気分は良かった。
しかし夜になって人と会ったら気分が悪くなった。
相手は良かれと思って助言をしてくれた。
でも僕はせっかくの良い一日が台無しになった気分だった。
そう考えると、自分が納得さえ出来ていれば幸せに過ごせるのかもしれない。
世間一般の常識とか正解みたいな言葉や考え方も良くあるけれど、
自分が納得できなければ、それは自分の幸せの方向性には合わないのかもしれない。
もちろん、法律遵守や他人に迷惑をかけないってことは前提条件だ。
自由と我儘は違う。
この世界,この社会に属して生きる以上、
ルールに則った上に自由がある。
ルールに則って生きなければ無法地帯となり、逆に自由と権利を享受できないだろう。
でも、周りがAだというから、周囲の大半がAだというから、
自分もAにしなければならないってことはない。
自分が納得できなければ、社会や組織のルールに則した上でBを選んだって良い。
いや、自分が納得できて幸せを感じられるなら、Bを選ぶべきなのかもしれない。
前に会社で新入社員が帽子を被って出社し、着用したまま業務に励んでいたことがあった。
会社の規則で帽子着用NGというルールはない。
でも、上役や先輩(僕の同僚)などは「常識的にあり得ない」と強く批判していた。
僕個人としては、別に帽子着用してもイイじゃないかと思う。
ルール違反ではないし、誰かに直接的な被害や損失を与えているわけでも、
傷付けたり否定しているわけでもない。
その人がその行動と選択によって幸せを感じ、
理想像に近付けているのなら、
帽子着用はその人にとっては正解なのかもしれない。
それが個性というものであり、本来尊重するべきものなのだろう。
ただ、逆も然りで、帽子着用OKの個性もあれば、帽子着用NGの個性もある。
だから帽子着用という自由と個性を表現するならば、
反対派の個性(価値観)と対立するリスクも覚悟しなければいけない。
残念ながら、全人類が個性を100%尊重できるわけではない。
だから人は仏や神様には慣れず、近付くために努力するのかもしれない。
話し合うなり、コミュニケーションを地道に図っていくなど、
持続可能な幸福を得られるような努力をする必要はあると思う。
ルールに則った上で自分が納得できる選択を取り続ける。
周りが何と言おうと関係ない。
周りの言うことは参考にするけれども、強制ではない。
そんな姿勢で良いんだと思う。
感情が熟睡する

今朝はよく眠れた。
いや表現がおかしいか?
昨夜はよく眠れ、今朝は良い目覚めだ。
カラダが軽い。
凝りも解れた気がする。
久しぶりに途中目が覚めることもなく、9時間くらい熟睡できた。
もしかしたら、昨日「感情のニーズに応える」ことができたからかもしれない。
不安で眠れなかったり、途中で目が覚めてしまったり、疲れが取れなかったり。
そういうのは、もしかしたら感情が安心や納得ができていないから眠れないのかもしれない。
カラダは疲れていて「今日も頑張った」と思えても、
ココロが納得できず空しさに襲われる。
だから疲れているのに眠れないってことがあるのかもしれない。
そう考えると、「感情のニーズに応える」ことが、
睡眠の快適さに影響を与えるのかもしれない。
自然とやる気が起きる

今日も事前に予定を考えていた。
外出が億劫になる。
でも、徒歩だけでなく公共交通機関も使おうって、ココロに提案してみたら、
ふとカラダが軽くなり外出しようって自然に思い立てた。
美容室に行く。
担当さんには良くして貰っていて、いろいろ話しかけてくれる。
たまにちゃんと話せているだろうかと不安になる。
せっかくご厚意で話して下さるのに、その恩に報いられているかと思ってしまう。
でも、無理なく会話できた。
緊張したが、「頑張り過ぎない」・「話を聞くに集中」って意識したら、
すんなり自然に会話を楽しめた。
むしろ、美容師さんがどんどん話してくれて、
最後は美容師さんが期限良さそうに見えたから、
これで良かったんだと自分を少し肯定してあげることができた。
リワークプログラムで学んできたこと,今課題として取り組んでいることが、
いまに繋がって活きているんだなって思えた。
プロでも難しいコミュニケーション

夜はカウンセリングの時間。
カウンセラーから「最近どう?」って聞かれる。
ここ最近はリワークプログラムでの取り組みが上手く行っている気がして、
順調に邁進している旨伝えた。
するとこんなことを言われた。
頑張り過ぎないって取り組みよりも、
自分を責めてしまうことにフォーカスすべきじゃないの?
え?今までの僕の取り組みって間違いだったの?
いま順調に感じているのに、それを否定するの?
この約1年間の取り組み、全部無駄だったの?
急に悲しくて、空しくて、怖くて、そして怒りが湧いてきた。
それをカウンセラーも感じたのだろう。
その後カウンセラーは慎重に少しずつ質問を繰り返してくれて、
僕の思考や感情を汲み取ったらしい。
申し訳ございませんでした。
サトウサンの「自分に厳しいところ」や、
「自分を大切にできないところ」が気になってしまい、
いまのサトウサンの気持ちを充分に理解せずに軽はずみな発言をしてしまいました。
大変失礼致しました。
カウンセラーはコミュニケーションのプロだと思う。
ココロが病んだり傷付いた人と会話して快復させるのが仕事だから。
そんなプロでも今回みたいにミスと自認されることがある。
それだけコミュニケーションって難しいんだ。
自分を責めてしまうから、頑張り過ぎてしまう。
だから、頑張り過ぎないことは、自責について深く考えていくことに繋がると思う。
だからこれでいい。
例え相手がプロでも多数派でも、自分が納得できているのなら、
その納得感を大切にしていいと思う。
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