20XX年〇月△日(休職から367日目)
気分:1
楽しさ:1
重要:7
メンタルダウンが悪化すると体調に表れる。
不眠や肩こり,頭痛,動悸,吐き気,腹痛,etc…。
出てくる症状は人によりさまざまだ。
カラダにまで症状が出始めたら、大人しくゆっくり休むのが良い。
風邪で高熱出した時と同じだ。
眠れなくてもベッドに横になり只管休む。
飲水や排せつなど生きるために最低限必要なことだけやって、
あとは何もせずただひたすらに休むことだけに専念するでしょ?
同じように、カラダの症状が無くなり、ココロがラクになるまで、
何もせずゆっくり休むのが最善だと思う。
これは僕の邪推だが、カラダにまで症状が出始めるって状態は、
ココロの器が限界を迎えて、カラダにまで溢れ出てしまった状態なんだと思う。
過度なストレス、過度なショックが流れ込んでくると、
最初は出来る限りココロのなかだけで溜め続け、排出しようとする。
ココロのなかだけで処理しようとする。
しかし排出が追い付かずココロの器に溜まり続けてしまうと、
器の容量を超えてあふれ出してしまう。
そのあふれ出した分が、カラダの症状として出てきてしまうんだと思う。
風呂釜をイメージしてみてほしい。
蛇口からお湯が出ていくが、栓を抜けばお湯は底から排出されていく。
蛇口の量が少なければ、底から抜けるスピードの方が速いから、
風呂釜のなかだけで事なきを得る。
でも、蛇口の量が多ければ、底から抜けるスピードが追い付かず、
どんどん風呂釜にお湯が溜まっていく。
最終的に風呂釜からお湯があふれ出し、洗い場まで水浸しになる。
こんなイメージだ。
だから、カラダにまで症状が出るっていうのは、ココロが限界の状態。
危険信号。ボク自身がSOSを出しているサイン。
ゆっくり休もう。
SOSが出るまで頑張ったんだから、少し立ち止まって、何もせず休んだって、
バチはあたらないって。
そう信じてる。
親への誕生日プレゼント

今日は実家に帰る予定だった。
親の誕生日を祝う。
そのためにプレゼントを買いに行く。
買うものは決まっていた。
数量限定販売されている商品。
親が好きなジャンルで、そのジャンルでは日本一と言われるほどの人気商品。
でもお店は不定期営業で、電話を掛けないと営業しているか否かも分からない。
そのうえ、午前中には売り切れてしまうという。
今まで働いていた時にはどうしても買うことが出来なかった。
これを買うために早朝に起きる。
でも、いつもよりカラダがダルく、重い。
でも、休職中の今を逃したら、もう親にプレゼントするチャンスは無いかもしれない。
店に電話したら、今日は営業日。運がイイ。
これで買いに行くのを諦めたら、一生後悔するかもしれない。
後悔しながら生きたくない。
幸運の女神は前髪しかない。
いつやるのか?いまでしょ!
行くことにした。
他予定全キャンセルでゆっくり休む

カラダを引きずりながら、気合で店に到着。
売り切れるギリギリで入手!目標達成!
本当なら、この後趣味のサウナやグルメを楽しむ予定だった。
しかし、全部キャンセルしよう。
僕の価値観は、欲張りすぎず、自分も相手も大切にすること。
親に喜んでほしいっていう価値観に則した行動目標は達成した。
あとは、いまこの瞬間、その価値観に沿っているだろうか?
サウナに行っても、カラダを引きずるくらいの体調不良。
きっと楽しめない。それでは自分は幸せになれないし、自分を大切にできていない。
食事に行っても、きっと食べられず楽しめない。
お店にも自分にも迷惑をかけるだけだ。
実家に電話し、予定より前倒しでお邪魔することに。
プレゼントを渡し、すぐに体温を測る。
37.4度。
クスリを飲んで、寝ることにした。
その後、38度⇒39度と、どんどん熱が上がる。
何をやったか、あまり記憶ない。
きっとただただ休んでいたのだろう。
それだけメンタルが限界だったんだ。
ここ最近、ショックなことが多かった。
でも価値観にそって、やるべきことはやり切った。
あとはゆっくり休もう。
こうやって、ココロとカラダをゆっくり労わり、休ませてあげるってことが、
自分を大切にするっていうことなのかもしれない。
コメント