恵まれているはずなのに

休職日記(休職の心得)

20XX年〇月△日(休職から310日目)

休職してから随分と時間が経った。
おかげさまでゆっくり休めている。
休養期間として長く静養し、今は回復期に入りリワークデイケアに通い始めている。

働いていた時より穏やかな日々を過ごさせて貰っているし、
心優しい魅力あふれる人々にも恵まれた。
土下座させたり、1時間罵声を浴びせたり、すべての責任を押し付け無関心を貫くような人は今はいない。

とても恵まれているはずだ。
でも、なぜだろう。
今日は元気が出ない。
凄く恵まれているはずなのに、なんか辛い。

でも、それでいいんだ。
生きていれば、何となく良い一日もあれば、辛いと思う日だってある。
トータルで何となく良ければいいんだ。
人生終わる時、「まあ悪くない人生だった」と思えればそれでいいんだと思う。
だから大丈夫。
「恵まれているはずなのに何となく辛い」
そう思えるだけで、視野は広がっているはず。
だから大丈夫。そう思っちゃっていい。
あなたは大丈夫。

タイミングが合わなかった

今日もリワークデイケアに通う。
いつも通りフレンドリーに楽しく会話。
ほんとに良い仲間に恵まれたと思う。

でも、今日は参加者が多く、授業で良い席が取れず後ろの端っこの席。
ちなみに、授業は一般デイケア(復職を目的をしない方)や、卒業生も任意で出席できる。
だから日によって、いや授業によって混み具合が変わってくるのだ。

そうすると、一部で会話が盛り上がっているけど話に入れない。
授業も黒板が見えにくかったり、話が聞こえにくかったりする。
たったそれだけのことなのだが、遠慮してしまい、
孤独を感じて気まずくなり、落ち込んでしまった。

良いこともあった

そんな後ろの端っこの席に座っているのに、職員は僕に沢山話を振ってくれた。
授業で質問や、ちょっとした冗談、たとえ話をする度に、僕に話しかけてくれた。
約20~30人くらいが参加していだだろうに、
そんな大勢の中でも気にかけて下さった。

全プログラムが終わり帰宅する時にも、軽く挨拶して退出しようとしたら、
ちゃんと笑顔で挨拶してくれた。
各職員それぞれ他の受講者と会話中だったのに。
他の受講者も挨拶してくれた。

多くの方々に気にかけて貰っている。
決して孤独なんかじゃない。
それを考えると、凄く恵まれていて良いことあったなと頭では分かるんだ。

頑張れなくてもいいじゃない

帰り道、スーツ姿の複数人が歩いていた。
「いやぁ~今日もお疲れさん。」
通りすがりに聞こえた。
かつては僕もそちら側にいた。

働いていた時は、とにかく活動しまくった。
頑張った。
過密なスケジュールを何とかやり繰りし、優先順位の高いことに集中し、
無駄なことは切り捨てた。
それが、いまは主治医にもカウンセラーにもデイケア職員にも違うことを勧められる。

もっとゆるっとダラダラ過ごしていいんじゃないですか?
価値に基づく行動しかしないと疲れちゃいますよ。
みんなもっと無駄な事ばかりして過ごしています。
気が楽だなぁ~と思うことをのんびり過ごしましょう。

これが治療方針のようになっており、毎日心掛けて暮らしている。
たしかに気が楽になり、生きてて焦燥感や辛さを感じることは減った気がする。
でも、家に帰りテレビでたまたま流れた台詞が耳から離れない。

今日も一生懸命頑張ったって思ってから寝るようにしているんです。

僕は一生懸命頑張れているのだろうか?
達成感ややり切った感は、働いていた時の方が合ったと思う。
それはそうだ。今は「頑張らないこと」を頑張らなきゃいけないのだから。

そう思うと、また気落ちするのだ。
「僕は何も頑張れていないな。」
「なんてダメな奴なんだ。」
家に帰ってからも、何もやる気が起きず、あえて何もせずダラダラ過ごすことにした。
これでいいのだろうか?

日課の実家への電話で話したら、諭された。
「頑張らないことを頑張ったじゃない」

数年ぶりにゆっくり休めたじゃない。
働いていた時は自殺するんじゃないかって心配だった。
数年後に、今を懐かしく思う時がきっとくる。
そうやって悩んでいることこそ、成長している証だし、
将来きっと財産になる。

そうだな。こうやって辛いと思う日々が将来きっと大切になるんだ。
かつてバリバリ働いていた時の僕じゃ、きっと精神疾患の辛さを真に理解することはできなかっただろう。
きっとリワークデイケアなどの居場所や仲間に出会えなかった。
これは会社に居る皆には学びにくい貴重な経験だ。
大丈夫。これでいい。
悩みながら、少しずつ前に進んでいこう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました