解放された実感

休職日記(休職の心得)

20XX年〇月△日(休職から58日目)

友人と遊ぶ日。
今回は新しいサウナが出来たということで、試しに行ってみることに。
そこまで未だ興味は高まっていなかったが、時間もあるので、今のうちに行ってみようと。

そのサウナは所謂オフィス街。
もしくはビジネス街。
今回は時間もゆとりあるし、友人と話し合って徒歩移動で向かう。
すると、サラリーマンらしき人々をたびたび見かける。
たびたびすれ違う。
その時に思うんだ。

あぁ、あの時の僕がいる・・・。

かつての自分と重ねてしまう。
あの時はお客様のお役に立てるため。
会社の皆を守るため。
そんな使命感で戦っていた。
それが生き甲斐でもあった。

離れて、かつての自分の面影を見ていると。
本当に幸せだったのだろうかと自問自答する。
これしかないって視野が狭くなっていたのかもしれない。
うん、休職して悲しい気持ちもあるけれど。
立ち止まって考えなおす、見つめ直す機会を神様が暮れたんだと思おう。

ランチで見かけた面影

サウナがある最寄り駅ではなく、1駅2駅離れた駅で待ち合わせ。
友人と落ち合い、少し時間を潰してから中華料理屋でランチ。

よくよく考えると、休職してから外出する時。
友人と遊ぶとき。
以前働いていた時とすれ違う人のタイプが変わった。
以前はスーツ姿やビジネススタイルの女性ばかりだった。
今は私服姿の人が多い。
若いか年配者か。
自分の境遇が変わるだけで、周りの環境がこれほど変化することに驚く。

時間を潰すのも、中華料理屋さんがOPENするまでゲームセンターで過ごした。
ほとんど人がいない。
休日だと人でごった返しているのに。
それでも今までの生活とのギャップを感じる。
ゆとりと自由を感じる。

そして中華料理屋へ。
その店ではスーツ姿の人が多かった。
久しぶりに感じる空気感。
隣の人を見る。
汗ばみながらチャーハンをかきこんでいた。
多分次の商談までの隙間時間で急いで食べているのだろう。

僕もマックで10分でハンバーガーとポテトを口に詰め込んでたなぁ・・・。

思うと、どれだけ時間に追われていたのだろう?
なんであんなに生き急いでいたのだろう。
僕たちは『今』を生きているのに、先ばかり見て追いかけている。
そう考えると、休職して初めて自分の『今』を生きているって実感した。

すれ違った面影

徒歩で目的のサウナまで向かう。
すると、オフィス街なだけあって、
歩いてるとスーツ姿やビジネスフォーマルな格好の方と幾度すれ違う。
なんとなく思う。

たぶんいま、事務所から用事で少しだけ外に出てるんだろうなぁ。

もしくは遅れたランチタイムなんだろうなぁ。

彼ら彼女らを見ていると自信に満ち溢れて見える。
仕事の愚痴を言い合いながらも肩で風を切っているように見える。
かつては僕もそんな風景の一員だった。

少し歩き疲れたので、カフェでブレイクタイム。
そこでは一転してママ友って感じの方たちばかりだった。
そして考える。
先ほどすれ違った面影たち。
その面影は今もう失われた。
しかし、僕は不幸だろうか?
むしろ緩やかな時間を満喫できている。
うん、深く呼吸できている。
以前は溺れそうな毎日だった。

価値観の違いだなって思う。
働いている時は、働いている環境の価値観しか見えなかった。
それがすべてだった。
休職は予期せず、価値観って無数にあるんだよって教えてくれた。

夕食で見た面影

サウナを満喫し、友人オススメというとんかつ屋へ。
夕方ごろだった。
隣にはスーツ姿の男性2名。
どうやら上司部下の関係っぽい。

お前はこういうところがダメなんだよぉ!

上司らしき人が一方的に説教している。
その説教内容も商談手法で、自分のスタイルを正義とし一方的に押し付けている感じだった。
商談スタイルなんて、人によって無数にある。
そんな絶対的なスタイルなんて僕は無いと信じている。

しかし、部下らしき人は苦笑いしながら、「はい」・「勉強になります」など、
ひたすらに頭を下げ耐え続けていた。
その姿は新人時代、当時の営業部長に土下座させられた時の僕だった。

僕らは何をそんなに我慢して生きているのだろう。
そこまで縛り付けられながら夢見ているのだろう。
生きるため?
意外と休職しても、そこまで生活に困っていない。
意外と国や地方自治体は温かみがある。

僕はいつの間にか盲目的になっていたのかもしれない。
そびえ立つ崖を登り続けるしか道は無いと思ったけど、
意外と落ちてみたら死ぬどころか洞穴があった。
離れたから気付けることもある。

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