20XX年〇月△日(休職から370日目)
『あれ』から約12ヶ月。
今はリワークデイケアに通っている。
(リワークデイケアについてはコチラをご覧ください。)
おかげで最後の4ヶ月目に入った。
2ヶ月目までは週3日通所、3ヶ月目は週4日通所だったが、
いよいよ週5日通所になる。
今まで支えて下さっていた先輩(先に入所されていた方)は全員卒業し、
代わりに新しい方々が入ってきた。
環境も大きく変わる。
先輩方の話を聞くと、週3→4日になるタイミングがいちばんきつかったと言う。
でも、僕の場合は週4→5日の方がきつかった。
つい先日まで体調を崩し、熱が出てしまい、寝込む日々が続いていた。
今回は僕がダウンしてしまった経緯と、過ごし方も記していきたい。
プレッシャーと時間

先輩方が週3→4日の方が辛かったという理由。
それは1~2ヶ月目と2か月間は週3日だったので、慣れるのが大変だったということ。
週3日通所という習慣が出来上がっており、週4日通所に習慣を治すのが辛かったらしい。
週4→5日のときは、1か月間しかなかったので、
意外とすんなりいったということだった。
僕の場合は違う。
週3→4日は意外と平気だった。
なぜならまだ平日に1日休みがあるからだ。
しかし週5日になると、5日間連続で通うことになる。
心も体も定休日が無くなるのだ。
それが僕にとっては辛かった。
そう考えると、僕の場合は、たとえ不規則でも、ゆとりある時間(休み)があればいい。
規則正しい習慣よりも、ゆとりある時間が無くなる方がツライということなのだろう。
そしてもう一つ、ダウンした理由はプレッシャーだと思う。
先輩方が卒業し、1~3ヶ月目の後輩だけが残った。
これからは僕がみんなを引っ張っていかなきゃいけない。
それが凄くプレッシャーになっていたようだ。
先輩方のようにムードを盛り上げ、居心地よく話しやすい環境を作れるだろうか。
それが凄く不安だった。
実際、最初の1週目は職員から、
「コレでいいの?サトウサンがみんなをリードした方がいいんじゃない?」と言われ、
その結果、自分を責めてしまい、翌日微熱が出るという事態までダウンしてしまった。
周りに頼る

しかし、何とか快復し、通所再開できている。
まずゆっくり静養したのが良かったのだろう。
時間が解決してくれる。
気付けば体力もメンタルも立ち直っていた。
そして周りの人々に話して相談したのが良かった。
両親,友人,デイケアの仲間たち,一部の職員に話をした結果、
「ああ、出来なくても周りがなんとかしてくれる」
と思えるようになった。
自分にできるのは意識するところまで。
意識して可能な範囲で行動して、それでダメでもなんとか周囲が解決してくれる。
その心構えが大切だと学んだ。
だいいち、デイケアの環境づくりについては、相談した人に言われて納得した。
デイケアの雰囲気づくりなんて、それこそ職員の仕事でしょ?
それを患者に求めるのは間違ってるでしょ。
より仕事を意識した作業

週5日になり、初めて来た曜日。
初めてのプログラムは、まさしく作業訓練。
計算ドリルの束を渡され、ノルマを言われ、
制限時間内に終わらせる。
計算ドリルが終わったら、次はパソコンを使い、ワードでの原稿づくり。
それもノルマが課せられ、制限時間内に終わらせる。
そこそこプレッシャーがかかり、集中して取り掛かる。
今までも作業時間はあったが、その時は集中し過ぎないことを意識してきた。
まずはココロのケアを学ぶため、ほどよく視野が広がりながら、落ち着いて作業する。
今回はノルマがあるので、のめり込むように目の前のことだけに全集中する。
本当に復職を視野に入れたプログラムだった。
将来像を見据える

そして新たなプログラム。
自分が理想とする将来像を映像としてイメージし、
それを紙に書き纏める。
そして、そこに近付くために、今週は具体的に何をするか記入する。
あとはそれを試してみて、良かったか悪かったか。
将来像に僅かでも近づいたか。
それを書き、次の1週間の具体的な行動目標を書く。
これをやると、自分が何を求めているのか。
そしてそのために何を考え、何をすべきなのか。
より鮮明に深堀して、分かるようになる。
何より、将来像を考えて進むことは、
後ろ向きにならず前をしっかり歩める。
このプログラムは凄く為になった。
メンタルダウンもあったけど、それも含めて経験を詰めている。
今まで働きすぎで見てこなかった自分のことを、より深く知ろうと出来ている。
大丈夫、すべてが血となり肉となる。
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