20XX年〇月△日(休職から341日目)
今日はダメな一日だった。
抑うつ,自責,焦燥感に襲われ続ける。
こういう日は多かった。
働いている時は、この状態が平常だったと言ってもいいかもしれない。
でも、その平常は常に苦しかった。
幸せとは感じていなかった。
だから、稀にある穏やかな時はこの上なく幸せに感じていた。
なぜ自分を責めてしまうのだろう?
なぜ焦ってしまうのだろう?
なぜ落ち込んでしまうのだろう?
どうすれば自分にとって好ましい精神状態に改善できるのだろう?
絶対的な答えなんてないんだろう。
自分の中でしっくり来た時、それが自分だけの答えなんだと思う。
そして、僕の場合、独りぼっちになった時に、
寂しいって感情と、安堵した感情が同居している。
なぜ独りになりたくないのだろう?
なぜ独りだと寂しいのだろう?
なぜ独りになりたいのだろう?
なぜ独りだと落ち着くのだろう?
きっと完璧を求めすぎているから、独りになると落ち着くのかもしれない。
きっと周りの目を気にして、尚且つ人との繋がりを大事にしたいって思っているから、
独りになると寂しいのだろう。
そんな気がする。
理想の自分が厳しい

朝から何かに迫られている感覚。
本当は何にも迫られることも、追われることも、責められることもないのに。
アタマでは分かっているのに、焦ってしまう。
一体、なにが僕を追い込むのだろう?
デイケアでの朝の報告会。
みんなの報告が頭に入ってこない。
そして気の利いたコメントが浮かばない。
そんな自分に嫌悪感を感じる。
先日のデイケア内でのグループディスカッション。
ハッと気が付くと、自分ばかりが話している気がした。
いや、自分ばかりが話しているというより、
余計なひと言を言ってしまっているだろうか。
だから今日は反射的な発言は控えることを目標にしていた。
あえて間を置くことを意識して。
でも、ちゃんと目標を試しているのに、逆に上手くコミュニケーションが取れない。
また相手の役に立つどころか、相手に迷惑かけているじゃないか!
何てダメなやつなんだお前は。
お前に生きている価値なんて無い!
そうか、僕を追い込んでいたのは、今の僕そのものではないかった。
今の僕ではなく、理想の僕が、僕を追い込んでいたんだ。
独りだと落ち着く理由

昼食時間になり、逃げるように外に出た。
まず暫く個室トイレに籠る。
うずくまり、30分くらいトイレから出られない。
感覚で言えば、久しぶりに呼吸できているような感じ。
それまでは窒息してて、息苦しく藻掻いている状況だった。
そして飲食店に行き、ランチ。
独りで食べる。
寂しい気持ちと、なぜか落ち着いた安堵感が同居している。
この時間は恐らく誰にも見られることはない。
マイペースに自由に過ごしても誰にも迷惑かけない。
不快な思いもさせることはない。
気を抜ける。
完璧な僕じゃなくてもいい。
だらしない僕で良い。
そうか、僕は僕のなかにある「完璧なボク」でなければいけないと思っているのか。
だから、独りになると安堵するんだ。
気が楽って感じられるから。
完璧なボクって何だろう?
僕の価値観は利他の精神。
自分なんかより、相手の幸せを優先すること。
だから、自分の一挙手一投足で、相手が笑顔になることが義務付けられているんだ。
自分の一挙手一投足で、相手の表情がゆがむことは、絶対にあってはならないことなんだ。
だから、一分一秒に細心の注意を払う。
だから息つく暇もなく感じるんだ。
そりゃ、独りになると安堵するって精神状態になっても当然だなって自己分析。
自分も今を楽しむこと

結局、今日のデイケアでは上手くいかなかった。
週1回通うようにしているプールへ。
面倒くさいなと思ってしまう。
しかし、泳ぎ終わり帰る頃には、行って良かったと思っていた。
少し気分が軽くなっている。
きっと、泳ぐことに専念して、気持ちが切り替えられ、気が楽になったからだろう。
そして今日の記録を書く。
改めて振り返ると、今日は「コミュニケーションで間を置く」を試してみた。
その試してみたことは良いことなんだろう。
おかげで気付くことができた。
たしかに、反射的な発言で相手の表情が曇ることもあるかもしれない。
そこは意識した方が良いんだと思う。
でも、そればかりに気を取られ、「間を置く」ことだけに意識し過ぎてしまうと、
上手くコミュニケーション取れなかった気がした。
そう思ったのは、また相手の表情が曇っていたからだ。
いや、相手が気まずそうな、居心地の悪そうな表情とでもいおうか。
きっとそれは、相手も僕の表情を見ているからなのだろう。
その時の僕はどうだったか。
細心の注意を払うあまり、今を楽しめていなかった。
自分も今を楽しまないと、相手も楽しめないのかもしれない。
それを学んだ一日だった。
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