20XX年〇月△日(休職から141日目)
主治医やカウンセラーから次のように言われている。
どんどん愚痴を言って下さい。
どんどん怒って下さい。
サトウサンは我慢し過ぎです。
おかげさまで最近は過去のことを思い出し、怒りを覚えて愚痴を言うことが増えてきた。
友人や家族には愚痴ばかり言っている。
主治医にそれを報告すると、「いいですね!」と推奨してくれる。
しかし、最近思うようになった。
愚痴を言い続けるのも辛いんだなって。
最終的には自己責任って思った方が幸せだなって思った。
なぜなら、僕の人生を上司に振り回されたくないから。
自分の人生は自分で選べるって思う方が自由だから。
親からの叱責
親に愚痴を聞いてもらっている時のことだった。
ボーナスカットになったのが納得できない。
過労になるまで追い込まれなければ本来得られた報酬だ。
だから生活費として会社が補償すべきだ。
そう言ってたら急に剣幕が変わった。
それは違うでしょ?
どんな事情だろうと、その期間は欠勤なんだから。
働いていないんだから仕方ないのよ。
そういうルールなんだから。
いやいや言っていることは分かるけど。
本来得られたはずの報酬を支払う義務が会社にはあるはずだ。
しかし、説得は続く。
会社にも問題はあったと思う。
でも、じゃあなぜ上司に「これ以上はできない」と拒絶しなかったの?
結局倒れるまで働く道を選んだのは自分でしょ?
上司には「もう限界」と言い続けた。
それでも対処してもらえなかった。
それでも僕が悪いの?
久しぶりに眠れなくなった。
自分で道を選んだで良いんだ
翌朝まで考え続け、ネットで調べ続けていたら、ある内容が目に留まった。
’’リストラ企業に残り続けても辛い。それも選択肢だが、転職や副業、独立など様々な方法があるというだけで行動も変わってくる’’
これを見たときにピンときた。
そうだ。自分の人生は自分で決められるんだ。
愚痴を言い続けていると、たしかにスッキリした。
みんな優しく聞いてくれ、励ましてくれた。
知らなかった人は一緒に怒ってくれた。
でも、ときどき友人や家族の顔が曇る時を僕は見逃さなかった。
気のせいかもしれないが、僕はそう感じた。
それを感じた時、いや愚痴を言ってる途中からココロがズキズキ痛むのを感じた。
その理由が自分なりに少しわかった気がする。
そうやって愚痴を言っている時、僕のココロは不幸に陥っているから。
それなのに愚痴の張本人は何も知らずに呑気に生活を満喫している。
そう。
「他人を変えることはできない」のだ。
仮に変えることができたとしても、かなりの労力と時間を費やすだろう。
それ以外の代償もあるかもしれない。
「他人を変えることはできない」のに、僕は「今でも愚痴の張本人に振り回されている」のだ。
それこそ本当の不幸ではないか。
他人を変えることはできない。
でも自分を変えることはできる。
自分の人生は自分で選べる。
そう思った方が幸せではないか。
あの時僕は、
皆を幸せにするため、
皆に迷惑をかけないようにするため、
皆に負担をかけないようにするため、
責任を果たすため、
その為に無理をする判断をした。
いざとなったら会社を辞めるか、死ぬ覚悟を決めた。
その結果が今なんだ。
そう思えば、これだけ思いやってくれる人々に支えられて、むしろ幸せじゃないか。
出世や昇給の道はもう閉ざされた。
でも、あの時、自分で選んだ道の先が、
焦らずゆっくり休んでと言って貰え、誰一人責める人はいない。
生活に困ることはなく、たまに胸が痛くなるけど、仕事を忘れてゆっくり休めている。
この選んだ道を悪くない。
「みんなに負担をかけたくない」
この決断に後悔はない。
いろいろあったけど。
僕の人生は上司のモノじゃない。
僕の人生は僕で選んだ。
そう思えば前を向いて歩き始められる。
いまはゆっくり休もう。
そしていつかまた歩き始めよう。
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