20XX年〇月△日(休職から278日目)
今日もリワークデイケアで活動中。
先月までは毎日休みで「何もせずゆっくり過ごして下さい」と言われていたのが、
今は週3日も学校のように施設に通っている。
これだけでも大きな前進と思っていいだろう。
休職してから独りで居る時間が圧倒的に増えた。
適応障害やうつ病のような精神疾患の人は年々増えている。
別に僕だけじゃない。
頭では分かっていたし、それで孤独感や理解されない辛さは感じたこと無い。
しかし、施設に通ってから、僕以外に精神疾患で闘病している人と実際に出会う。
実際に会うと全然違う。
本当に僕だけじゃないんだなって実感する。
多くの人が、その人なりの事情を抱えて生きている。
そうすると思うんだ。
僕は恵まれている方なんだなって。
そして僕も頑張らなきゃなって。
そして生意気かもしれないけど、この施設にいる優しい人々みんなが、
幸せになってほしいって素直に思えた。
周りに教えられて自己理解
自己肯定感を高めるプログラム。
職員に呼ばれた2名が対面で座り、お題について会話する。
お題は万年筆だったり、桜だったり、オニギリだったり様々だ。
お題を与えられ、僕は対面の人と会話をした。
正直このプログラムは、営業の仕事や研修、婚活で慣れている。
時間になると職員から止められ、周囲の人から褒めて貰える。
我ながら楽しめて話せたし、満足いく結果だった。
しかし、営業で培ったテクニックを褒められると思っていたのに、
予想外の意見が多かった。
サトウサンは終始にこやかに笑顔で安心感がありますね。
え?僕笑ってた?
それは無意識だった。
たぶん長年の経験のなかで自然に身についたのだろう。
そっか、僕笑えてたんだ。
本当は若干緊張していた。
それでも自然と笑顔になれてた。
相手に安心感を与えられてた。
たまに自分は機械みたいだなって思うこともあったので、
それは少し自分に自信を持つことができた。
それぞれの個人事情
次のプログラムではグループワーク。
相手からの余計なひと言に対する対処法。
日常にあり触れたことだけど、誰かが傷付く場面でもある。
その時を再現して、対処法を練習する時間。
すると、グループのうち2名の場面が僕には驚きだった。
食事後に薬を飲んでいると、両親から言われるんです。
「そんな大量にクスリに頼ってるから良くならないんだ。クスリなんか飲むな!」
僕の中では衝撃だった。
まず僕はクスリを飲んでいない。
主治医と話し合って、投薬なしでの治療で充分という方針となった。
でも、施設にはクスリを飲んでいる人が多くいる。
なかには症状が重く何種類も飲まなきゃいけない人もいる。
もうひとつ衝撃だったのが、余計なひと言を言った相手が両親ということだ。
本来なら一番の味方であるはずの存在。
そんな存在から全く理解の無い言葉を浴びせられる。
僕でさえ言ってはいけない台詞だと理解はある。
世間ではまだまだ精神疾患に対する理解が無いこと。
味方であるはずのご両親や親族からも理解を得られない方がいる事実。
それを目の当たりにして愕然とした。
就活の時から「相手の立場に立って行動する」といつも気にしてきた。
でも、僕は未だに全然出来ていない。
グループ内の事情を聞いて愕然としている自分が居る。
その時点で相手の立場になんか立てていない。
だから思った。
まずは相手のことを理解することから始めようって。
どんな事情でも、相手が言うことを否定するのはやめようって。
まずは相手を理解し受け止めてから、話し合う。
それを心から学ばせてもらった。
うまくいえないけど、反省しなければならない、そう思った。
手が震えている
グループ内で順番に練習していると、急に大きな声が響いた。
その人の番に回ってきた途端、大きな発声で、当時の状況説明が始まる。
そうかと思うと急に声がか細く聞こえなくなる。
その方はどうやら学生で、友達からデイケアなんかに通ってないで学校来いと言われたらしい。
不登校になっていることをサボりと思われショックだったということだ。
その方を見ていると、他の人が話している時も、自分が声を発する時も、
ずっと手が震えていた。
邪推だけど、そうか、恐らくココに居ることも相当の覚悟と勇気を出しているんだな。
ただ家から出掛ける。
ただ誰かの話を傍聴する。
ただそれだけのことでも、清水寺から飛び降りるくらいの覚悟と勇気を出している人もいる。
それを目の当たりにして、頭で分かったつもりで本当は理解不足だった自分を知った。
もっと大切にしよう。
自分が当たり前のことでも、それをそのまま表現するのが正しいわけじゃない。
相手を慮りたい。
意見をぶつけるのではなく、意見を見せるように話して、
相手が受け止められるか否か理解をしてから、
お互いの価値観を尊重し合いたい。
上手く言えないけど、そう思った一日だった。
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