反すうに気が付く

休職日記(休職の心得)
スポンサーリンク
スポンサーリンク

20XX年〇月△日(休職から303日目)

人間は思考する生き物である。
これはそういう仕組みになっているから仕方ないっぽい。
人類が誕生した時、生き残るために思考し、危険を察知するようにしてきた名残じゃないだろうか。

しかし、文明が発達し危険も遥か太古に比べると激減したんだろう。
それでも思考する仕組みは残り続けている。
だから今でも無意識にオートモードで思考し続け、時には悪影響が出る。

お風呂に入っている時に経験ないだろうか?
シャワー浴びてたら、昨日や今日のことを思い出す。
「そういえばなんであの時あんなことしちゃったんだろう・・・」
そしてシャワーを浴びているはずなのに、
まるで思い出している当時に鮮明に戻り、思考し続けてしまう。
そして考え続け悩み続け、シャワーは流れっぱなし。
今やるべきことができずカラダは止まっている。

これを反すうというらしい。
僕たちは気付けば反すうしている。
反すうは強いチカラを持っているので、それをコントロールするのは無理っぽい気がする。
だから、反すうしていることに気付くことが重要。
まずは「あ、反すうしているな」って気付くことから始めればいいんだ。

問題解決と反すうは違う?

思考することは必要なこと。
思考することで良いこともある。
悩むからこそ解決することもある。

だから同じことを深く悩み考え続けることはすべて反すうなのか?
反すうは悪いことなのか?
そんなことないのではないか?

授業で習った限りでの僕の捉え方。
反すうは避けるべきこと。
でも問題解決は良いこと。
どう違うのか?

問題解決は前に進むイメージ。
反すうは止まったままのイメージ。
悩み考え続けることで事態が良くなる、改善されるといったように、
物事が進むのなら良いこと。
でも、悩み考え続けているけど、事態は改善されず、止まったままだと、苦しいだけ。
その止まったままの時間分、「今この瞬間」を精一杯行動出来ていた方が利点が多いはず。
この「止まったまま」が反すうという扱い。

だから、悩み考え続けても前に進めていないのなら、それは反すうで、出来れば避けたい。

反すうに気付く

今日のリワークプログラムが終了し、ファミレスで課題をやる。
今日を振り返る。
グループディスカッションで自分が話し終えた後、
みんながうんざりしているように感じた。
もしかしたら話過ぎたのかもしれない。
もっと早く切り上げて、みんなが話す時間を考えれば良かった。

なぜあんなに独りよがりに話してしまったのだろう。
もっと周りの反応を見るべきだった。
自分だけ楽しめば良かったのか?
なんて自己中な奴なんだ。
全然人に優しくない。
お前なんて最低だ。
死んでしまえ。

そんな考えで頭が埋め尽くされる。
当時の情景に意識が飛んでいく。
「ん?今反すうしてないか?」
ハッと気づいた途端、意識はファミレスに戻っていた。

そうか、これが反すうか。。。

反すうを変えようとすると、終わらせようとすると、
より深く考え込んでしまって、出来ない自分を責めてしまう。
でも、気付くだけならだれでもできる。
そして気付いた瞬間、『いま』に意識が自然と戻ってくる。

反すうに気付くって大事なんだなぁ。
そうやってスモールステップ、小さな一歩を積み重ねて、
ココロを調整していきたいと思う。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
休職日記(休職の心得)
シェアする
satou-sanをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました