今日までを振り返る

休職日記(休職の心得)

20XX年〇月△日(休職から263日目)

明日からいよいよリワークデイケア。
休職してから約8~9か月。
ずっと静養期間が続いてきた。
やっとリハビリ期間と新しいステップに進む。

新しい日々が始まると思うと緊張する。
今までの慣れ親しんだ日々から変化が起きる。
すべてが初めての経験だから予想ができず不安になる。
きっと慣れるまで2週間くらいは緊張と疲労が続くだろう。

丁度節目なので、これまでを振り返り、
今現在思うことを雑然と簡単に書き連ねることにした、

もともとは3ヶ月休職だった

もともと約8~9ヶ月前の初診では3ヶ月休職推奨だった。
それがすでに予定の3倍近く時が経っている。
こんなに時間が掛かるとは思わなかった。

休職開始から3ヶ月間は悔しさ、虚無感、悲しみ、罪悪感といった負の感情で満たされていた。
今のうちにやれることを、やりたいことをやり切らなきゃと予定をバシバシ入れていた。
きっと焦っていたんだと思う。

その結果、追加で軽躁病と診断され、無期延期の休職となった。
今思うと早期復職しなくて良かったんだと思う。
きっと3ヶ月で戻っていたら仕事の勘は鈍っていないけど、
数か月経ったらまた追い込まれ、再休職していただろう。

適応障害って、たぶん1年くらいは治療に時間がかかるんだろうな。

狭い世界で生きていたんだな

あの頃は、休職前は責任を果たさなければと思っていた。
責任を果たすため、お客様や会社のみんなに迷惑かけるくらいなら、この命捧げますって覚悟だった。

責任を果たすこと。
自分以外の人のために貢献すること。
それは今でも間違っていないと思う。
大切なことだと思う。
でも、そのために自分を犠牲にするのは、狭い世界で生きていたなと思い直した。

僕がいなくなっても、会社は平然と回っている。
誰かひとりがトラブルを起こしても、いなくなっても、
それで会社が潰れることはない。
それで誰かが生きるのに困ることは無いんだ。

色々なモノ・色々な人から教えて貰った。
人間、なんとでもなる。
生き方はいくらでもある。

きっとこの先も、僕が僕であるために、一瞬一瞬を全力で生きるだろう。
でも、これからは自分を犠牲にしない。
最後の一線を越えないように、自分の幸せを願って生きたいと思う。

本当に大切なモノ

あの頃必死に守ろうとしたモノ。
いつも頼られ、相談され、必死に手を差し伸べ続けようとしたモノ。
あの頃は四六時中、誰かしらが周りに居て、声を掛けられていた。
今、その時周りに居た人々から連絡が来ることは一切ない。

実際は分からない。
でも、今の僕に見えている世界では、
あの頃僕が必死に守ろうと思っていたモノは全て幻だった。

一方、休職してから深まった縁もあった。
それまでは音沙汰が無かった縁。
それまでは挨拶程度だった縁。
仕事優先だった縁。
それらの縁は一方的に頼られることも、相談されることもない。
こちらが手を差し伸べると、次には当然のように相手から手を差し伸べてくれる。
いやむしろ、相手の方が先に無償の愛を差し出してくれる。
今までと全然違うそんな縁。

今まで質より量。
多くの縁と出会ってきた。
でも休職して、離れる縁,深まる縁。
僕にとって本当に大切なモノは何なのか、ハッキリ明確になる期間だった。

今は新しい縁は要らないかもしれない。
限られたかけがえのない縁を大切にしていきたい。

でも恵まれているんだろうなぁ

今日まで投薬なしで熟睡できている。
入眠は悪いが平均10時間眠れているし、
この8~9ヶ月間、コツコツ家事をして部屋はキレイになった。
定期的に運動して、食事にも気を遣い、健康的な生活を過ごせている。

かけがえのないご縁にも恵まれ、友人たちのおかげで寂しい思いをすることも少ない。
何より生活に困っていない。
衣食住ともに充実した生活を送れている。

これって凄く恵まれているんだと思う。
その運に、神様に感謝。
そして、これまで地道に努力を積み重ねてきた自分に感謝。

だから、いいじゃないか。
充分満たされている。
これ以上求めるのは欲張りだし、今の僕には身に余る。
高収入も、立場も、周りの称賛も、今のままでいい。
『知足利他』
自分の幸せを願うけど、足るを知り、余った幸せは相手のために差し出す。
そんな生き方がいいんじゃないかと、僕は思うんだ。

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