利用価値がなくてもいいんだ

休職日記(休職の心得)
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20XX年〇月△日(休職から386日目)

今日の気分:9/10
焦燥感:好調
疲労感:普通
抑うつ感:好調
自責感:好調
イライラ感:好調

今日の充実度(重要度):8/10
リワークプログラム修了も間近。
今日で活動記録の記入提出は終わり。
この記録を通して、デイケア職員さんと文通のようなやり取りもしていたので、
お世話になった感謝のコメントを書いた。

振り返ると、リワークプログラム期間は学びの多い期間だった。
デイケアでの日々は気付きが多かった。
その理由の1つが、ボクという存在を、ありのまま認めてくれたからだろう。

ヘンに構えず、利用価値がある人間と演じなくても、
自然体で居ていいんだってことを、デイケアは教えてくれた。
だからリラックスしてプログラムに臨めたのかもしれない。
今まで本当にありがとうございました。

追い込むより気付きを優先

思えば、今までのボクは、
「人の役に立たなきゃいけない」という強迫観念に襲われていたのかもしれない。
相手を大切にする。
感謝する。
ひとにやさしくする。
人の役に立つ。
これらはたしかに僕の価値観だ。
それが出来ないなら生きている価値が無いと、
無意識に自分を強く責めていた気がする。

デイケアに通ってから、出来ない自分を少しずつ許せるようになった。
グループディスカッションで気の利いたことが相手にできなくても、
「自分が話せなくても、周りがきっと何とかしてくれる」
って思えるようになった。

その影響なのか、休職前のことを振り返っても変化を感じる。
以前の僕は、もしかしたら直視していなかったのかもしれない。
漠然とした無力感や虚無感に襲われるも、
そういった慢性的で抽象的な感情に流されて終わっていた。

今日、卒業発表資料の確認で振り返ると、
ハッキリと痛みや悲しみ、怒りを感じる。
以前と同じく考え込んでしまうも、
「あ!今自分感情に流されて考え混んじゃっているな」
っていう自分の状況に気付くことが出来ている。

そして落ち込んでいる自分。
悲しんでいる自分。
怒っている自分。
ズキズキ痛んでいる自分。
以前なら「そんなんじゃダメだ!」って。
「前を向かなきゃいけない」って。
拒絶していた。

今は落ち込んでいる自分。
悲しんでいる自分。
怒っている自分。
ズキズキ痛んでいる自分。
そんな感情もあるけれど。
「そんな見方もあるなぁ」っていう、気付きの喜びもあって。
そんな感情を持っている自分を愛おしく、受け止めて、
ぎゅっと抱きしめられている自分がいる。

「人の役に立たなきゃ」って追い込むことより、
「ああ上手くできないなぁ」って落ち込む自分に気付くことを優先する。
気付いたらぎゅっと抱きしめる。
それが学べたことなのかもしれないし、
大切にしていきたい。

自然体でも受け止めてくれる場所はある

思えば、休職前は常に必死だった。
その理由の1つは、「相手に利用価値があると思われないと相手にされない」と、
無意識レベルで当たり前と思っていたからだろう。

だから、休職前はプロジェクトリーダーや労働組合責任者をやっていたこともあり、
多くの人々が頼ってきて、相談してきた。
そうやって関わると得をすると思われないと誰も関わってくれないと思っていた。

でも、デイケアでは、そもそも利害関係が存在しない。
純粋にその人の個性を見る。
そして自然体でも認めてくれる。
お互いに相手を知ろうとしてくれる。

だからグループディスカッションなどでも結論を出すのではなく、
ただ傾聴し理解することを重視できた。
もしかしたら、これが以前カウンセラーの言っていた、
「自分を大切にする」ってことなのかな?

ヘンに構えず、利用価値がある人間と演じなくても、
自然体で居て良いんだ。
もしかしたら、病気からの回復を超えた、
人としての回復なのかもしれない。

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