20XX年〇月△日(休職から123日目)
休職をすると、今まで積み重ねてきた功績や地位が無くなってしまう。
実際は分からない。
でも、そう感じることが今は多い。
人事部長からは言われた。
休職した分、昇給には時間がかかるだろう。
自分の同期や後輩が上司になる未来がこの先あるのだろう。
今まで仕事に全力を注いできた分、この現実は重く辛い。
僕の会社人生、何だったのだろう。
どうやってモチベーションを保てばいい?
考えた末、今の答えはコレだ。
「自分の価値観に沿った評価軸を持とう」
他者からの評価は気にしない
そもそもなぜ僕は辛いと感じているのだろう。
なぜ「僕の会社人生、何だったんだろう」と嘆いているのだろう。
それは他人と比べているからじゃないのか?
「誰よりも頑張ってきた自負がある」
「休職した分、他の人より昇給が遅れる」
どちらも他人との比較に感情を振り回されている。
じゃあ、本当に会社でいちばん頑張ったのだろうか?
確かめる術はない。
仮に僕がキャパ120%で働いていたとしよう。
いつも定時に帰り土日休み、昼食1時間取れてる人だって、
子育てや精神力などの事情で、その人なりのキャパでは150%の頑張りかもしれない。
休職した分、他の人より昇給が遅れる件についても、
では今まで生活に困窮していただろうか?
考えると、実は節約しながらも満足できる生活を送れていたと思う。
それで充分ではないか?
他人の目を気にするから苦しいんだ。
他人のココロや行動は変えられないから、どうしても外部要因で振り回されることはあるだろう。
でも、他人に自分の幸せを振り回されるのは勿体ない。
僕の価値観で幸せ度合を評価できたら、それが一番いいのではないだろうか?
僕の価値観は何だろう
では僕の価値観は何だろう?
前に考える機会があった。
その時の答えはコレだ。
安定した生活は、復職したら得られるだろう。
今までの給料でも、満足できる生活を送れた。
隣人を愛するはどうだろう?
これも立場は関係なくできるのではないだろうか?
上に行くほど権限が広がるから、より多くの人を愛せるけど。
でも、平社員でも隣人を愛することはできる。
休職している今でも、僕を気にかけてくれる人は沢山いる。
人生投げやりになりそうだった時も、彼らのおかげで今まだ生きている。
入社したばかりの上司が特別にご馳走してくれた時に教えてくれた。
もし君が今感謝しているのなら、その恩は他の人に贈りなさい。
恩返しは要らない。
恩送りをしなさい。
僕の生きる意味はココにあるのかもしれない。
僕だけの評価軸で生きる
働いていた時には、周りの人がたまに言ってくれた。
将来、会社を引っ張っていくのはサトウサンだよ。
その道は、もう閉ざされただろう。
他の人が、会社を引っ張っていく。
それでいい。
僕は「隣人を愛する」を評価軸にしたい。
上司が後輩でも覚悟しよう。
僕が雑務をこなし、その成果で後輩の上司が評価され、笑顔になってくれる。
誰か困っていた時に痛みを伴っても手を差し伸べ、その結果みんな幸せになってくれる。
それでいいじゃないか。
僕は未熟だから、直ぐに周りの視線を気にしてしまうのだろう。
でも、その時に立ち止まって自分に言い聞かせたい。
「自分の評価軸を持とう」
「他人が見下しても、隣人を愛せたなら、評価は100点満点」
まだまだ僕は目の前のことに全力で頑張れるかもしれない。
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