20XX年〇月△日(休職から122日目)
休職して約4か月。
最近になって辛いと思うことが多くなった。
どうやら、頑張り過ぎていた状態が落ち着き始め、
やっと過去を見つめ直す時期に来たらしい。
この時期になると、過去を振り返ると、悔しさが込み上げてくる。
別の自分が大人気ないよと指摘する。
分かってる。でも綺麗事だけじゃ収まらない。
なんて理不尽な世の中なのかと。
良いとこ取りする人が出世し評価されスポットライトが当たる。
みんなのために貧乏くじを片付ける人がいるのを見て見ぬ振りして。
多くの屍が転がっていることは知られず終わっていく。
いろいろ考えたが、ひとつ腑に落ちた案があった。
君は悪人になる覚悟があるか?
僕にはない。僕にはできない。
そう思えば、この人生も悪くないと思えてくる。
理不尽と思うこと
2ヶ月前に人事部長に言われたことを今でもフラッシュバックする。
サトウサンは休職した分、昇給は人の2倍時間がかかると思ってくれ。
言っていることは頭では理解する。
僕が休んでいる間も、他の人たちは働き続けているのだから。
でも、僕も別に休みたくて休んだわけじゃない。
自己評価では、あの時期、会社の誰よりも働いた自負がある。
営業課長,営業部長が放棄した仕事をすべて担ってきた。
責任を果たそうと死に物狂いに尽力した。
困っている人たちがいたから。
その結果、ココロとカラダが悲鳴を上げてしまった。
人によっては言うだろう。
「週7日勤務で昼休憩抜きくらいで甘えるな」
「そもそも働き方に問題があるんじゃない?」
そうかもしれない。
でも僕にはどうすればいいか分からなかった。
上司に相談してもフォローではなく追加の仕事が与えられた。
メンバーからも相談されたり頼まれゴトやミスのフォローが多かった。
あたまの切れる奴ほど、人に納得させながら良いとこ取りするのが器用だった。
僕にはそんな器用さは皆無だ。
全力を尽くした。
結果、上司やメンバーは今、昇給のチャンスが与えられ、
僕はちから尽き、収入が減った。
僕も仕事を人に押し付け、自分の利益だけを考えるのが正解だったのだろうか。
どうしても理解できない。
ある曲との再会
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理不尽だと打ちひしがれるなか、ある曲と再会した。
サザンオールスターズさんの「闘う戦士(もの)たちへ愛を込めて」だ。
最初の方でこんな歌詞がある。
この世はすべて裏表
嘘と真実(まこと)の化かし合い
上司や、出世頭のメンバーを思い出す。
会議や打ち合わせでは見事に綺麗事を言っている。
ある一面では事実でもある。
でも、証拠はないが確信がある。
自己評価しか考えていない裏面があると。
自分のために人を蹴落として
成り上がる事が人生さ
それを許さず抗(あらが)う相手には
殺(や)られる前に殺(や)るのが仁義だろう?
この歌詞を耳にしながら、PVを見続ける。
すると、ピラミッドのような山頂コースを、サラリーマン達が全力で走っている。
頂上に近付く頃には、皆同じ真っ黒な顔に赤い目で、獣のようになりふり構わず走っている。
その姿はもう悪魔のようだ。
2番目のサビでは転んだ人に手を差し伸べる人が悪魔に後ろから蹴落とされるシーンがある。
あぁ、これが資本主義社会の縮図なんだ。
組織ではホントに良い人ほど潰されるんだな。
生き残るのは悪魔だけなんだ。
悪魔になってから、善人の皮を被っているだけなんだ。
妙にしっくり来た。
「そうか、もともと会社で勝ち残るのは僕には無理だったんだ」
悪人になる覚悟はあるか?
会社で勝ち残るには悪人になるしかない。
これが僕の今現在の結論だ。
僕には無理だと思った。
まずそんなに器用じゃないし頭も良くない。
ニュースを見ると新手の詐欺が報道されているが、
頭が良いから騙す手口を思いつくんだろう。
頭が良いから自分だけが良い思いをする方法を思い付き、実行しても生き残るのだろう。
あたまが切れる人じゃないと悪人にはなれない。
僕には無理だ。
例え頭が良くても悪人にはなれないだろう。
いつか会社に戻った時、困っている人,頼んできた人が居ても無視することができるだろうか?
無理だ。
それが出来たとき、僕は僕の目指す僕じゃ無くなっているだろう。
明らかに利用されていると分かっても、誰かがそれで助かるなら、喜ぶなら、
使い捨てされる道を選ぶのが、多分僕なんだ。
僕はメチャクチャ頑丈な踏み台になろう。
会社で勝ち残れないけど、社会で生き残ろう。
隣人が笑顔になってくれるなら、それでいい。
そう思うと、今の惨状も悪くないと思えるのである。
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