最後は神頼み?

休職日記(休職の心得)

20XX年〇月△日(休職から65日目)

今日も旅行に行くことにした。
後悔しないようにしなければ。
今回の目的はサウナでなく、寺院巡り。

僕は年1~2回は神社寺院に巡るようにしている。
お願い事と祈り、日頃の感謝のため。
神頼みなんていうと、急にスピリチュアル的に思う人もいるだろう。
でも、僕は神頼みは必要だと信じている。
・・・無宗教だが。

人間、自力だけではどうしようもないことが沢山ある。
もちろん努力はする。全力を尽くす。
でも最後は天命を待つってことが多かった。

頑張ってきた人ほど、祈ろう。
見えてくるものがあると思うから。

新しい景色があるから

神社寺院巡りの旅では、出来る限り新しいところに行く。
新しい物事に触れることで、気付きがあるからだ。
普段の生活で体験することと異なるからだ。

例えば日本式の庭園なんて久しぶりに見た。
ししおどし?のような池に流れ落ち続ける水を見てると、ココロが安らぐ。
戦場のようだった職場が別世界のようだ。
時には休んでもいいって思えてくる。

神社寺院に来たら必ず御守と御札を購入する。
そして早々に帰ろうとすると、何やら人だかりが。
試しに行ってみたら街並みが一望できる絶景。

働いてた時はこんな景色を見る事なんて無かった。
いつも建ち並ぶオフィスビルを見上げて、帰る時はアスファルトを眺めていた。
なんだか、ひと息付いてもいいかもって思えた。

家の近所でも地元の神社や寺院があると思う。
そういうところに散策に行くのもいいと思う。
景観を変えるだけで、視界が開ける気がするから。

やれることは全てやってきたから

僕の家には壁のあちこちに御札が貼ってある。
初めて来た人は「ヤバイところに来てしまった」と青ざめるだろう(笑)

でも、これは何かを封じているわけではない。
ただの御守だ。
たまに寝る前に手を合わせる。

今日も有難うございました。
明日も平和でありますように。

これは毎日全力を尽くしてきた結果たどり着いた習性だ。
営業活動をしていると、残酷なことに全てのチカラを注いできても失敗することがある。
自分のチカラだけではどうしようもないことが増えるからだ。
お客様の都合,会社などの組織の都合,タイミング。

逆に大トラブルが起きて絶体絶命のときに、朝から深夜まで駆けずり回ったら、たまたま解決したこともある。
自身の全力,周りの助けのおかげもあるが、運が良かったとしか言いようがない。

こう考えると、全力を尽くしてきたからこそ、最後は神頼みしかないなと思うことが多かった。

もうやれることは全て出し尽くした。
あとは祈るしかない。

こういう状況まで追い込まれることが多かったからこそ、僕は神様に祈ることが多い。

感謝を伝える

神社寺院巡り旅行で手を合わせた。
そしてココロの中で祈った。

神様、いつもありがとうございます。
休職は辛いけど、おかげで休めています。
あのまま働き続けていたら・・・。
感謝いたします。

休職に至ったのはドクターストップがかかったからだ。
でも、お医者様がいい加減だったら休めなかっただろう。

世界では紛争地帯もある。
いま、こうやって五体満足に生きている。
本当に運が良かったんだと思う。
だから、神様には感謝しなくちゃ。

よくこんな言葉を耳にする。

神様は乗り越えらない試練は与えない。

この言葉は僕にとって救いの言葉だった。
明らかに僕より楽そうな人を見たとき、理不尽に思っても乗り越えられた魔法の言葉。

そうか、神様はこの人には無理だと思ったから、僕が選ばれたんだ。

どんな苦境も頑張れた。
今回の休職も、神様が僕だから乗り越えられると与えた役割であり、試練なんだろう。
選ばれたと思えば、前に進める。

あと、休職にあたって多くの人の助けや優しさも思い知った。
最後に祈った。

どうか、〇〇さんが幸せであり続けますように。

みんな自分が生きていくだけで精一杯なはずだ。
そのなかで、僅かな隙間から手を差し伸べてくれた人もいる。
幸せに平和に生き続けるのは、最後は運次第だから。

どうか、自分だけでなく愛する隣人の幸せを神に祈り続けたい。

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