失った先で見つけた

休職日記(休職の心得)
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20XX年〇月△日(休職から401日目)

今日の気分:7/10
焦燥感:普通
疲労感:普通
抑うつ感:好調
自責感:好調
イライラ感:好調

今日の充実度(重要度):7/10
休職して1年以上が経過した。
かつては営業としてバリバリ働いていた。
そこそこ活躍していたと思う。
重要顧客を任されていたし、事業全体の売上10%以上を担当。
プロジェクト単位だと3~4割の売り上げが僕の肩に乗っかっていた。
だから多くの人が僕に相談してくれたし、一目を置かれていたと思う。

今ではほぼ誰からも連絡は来ない。
会社のみんなが少しでも守れるように。
そう思って、家族だと思って、仲間だと思って、死ぬ気で奮闘してきた。
でも、それはもしかしたら幻だったのかもしれない。
あれだけ毎日相談に来てくれた人々は、どうしているのだろう。
蜃気楼みたいだ。

もう築き上げてきた立場も絆も、崩れて多くは失われてしまったのだろう。
今の僕にはそう思えてしまう。
何より、お客様からの厳しい言葉や、社内からの厳しい言葉。
「お前を昇格させたのは間違いだった。」
購買部長の言葉などは、きっと永遠にキズとして残り続けるのだろう。
そんな気がする。

でも、失った先で得られたものがある。
失うだけだと思っていた。
あとはただ虚無の中で静かに余生を過ごすだけだと思っていた。
でも、そんなことはない。
失ったからこそ、自分が大切に思っている価値観に気付けた。
本当に欲しかったモノは違うモノだったかもって気付けた。

失った先で見つけた。
今までは「一般的な評価」が自分の欲しいものだと思い込んでいた。
そうじゃない。
僕の価値観で自分が欲しいモノ。
利害とか余計な物事を考えずに、素直に自然と「幸せだなぁ~」と思えること。
そういう喜びと幸せを見つけられた気がする。

デイケアでランチ会

サトウサン、みんなでお昼食べに行くんだけど、一緒に行こうよ!

会社でここまで心からの受容はあっただろうか?
そこには利害は一切ない。
ただ一緒に食事をとりたい。
一緒にお話しがしたい。
一緒に過ごしたい。
そんな思いだけな気がする。

デイケアで一緒にリワークプログラムを受講してきた仲間たち数人とランチ会。
顔色も言葉も気を遣うことなく、自然体で過ごすことができた。
ほんと、他愛ない会話だった。
それが楽しかった。

休職前には、ここまで自然体に過ごせたのは親友と家族だけだった。
休職したからこそ、得られた絆だと思う。

まさかさし飲み仲間ができるとは

デイケアが終わった後、今度はリワークプログラムの同期仲間とさし飲み。
いろいろ面白かった。
まさか同じ学校を卒業していると思わなかったし、
超大手のお偉いさんだとも知らなかった。
こんな出会いってあるんだなぁ。

思えば、休職前も現状に不安を求めて出会いを求めまくった。
婚活もしまくったし、異業種交流会にもたくさん顔を出した。
そのせいで喫茶店でガタイの良い不動産営業マンに囲まれたり、
ヘンな集会に参加させられたりと大変な思いもした。

そういう出会いを求める活動をしまくったのも、
仕事ではどうしてもメンタル面で孤独を感じ続けていたからなんだろう。
きっと自覚しないまま、なんとなく感覚で恐怖だけ感じていたのだろう。

それが、休職して会社で築き上げてきたもの何もかもを失ったと思った先で、
ありのままの自分を受け入れてくれて、
ありのままの自分で安心できる居場所が見つけられるなんて。

人生、捨てたもんじゃない。
もしかしたら、すべてを失った先にこそ、宝物が待っているかもしれない。

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