トラウマを受け入れる

休職日記(休職の心得)
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20XX年〇月△日(休職から407日目)

今日の気分:6/10
焦燥感:普通
疲労感:普通
抑うつ感:普通
自責感:好調
イライラ感:普通

今日の充実度(重要度):6/10
今日はカウンセリングの日。
ここに来るのも、既に1年経過するのか。
なんか、長いようで、あっという間でもあるような、不思議な感覚だ。

今日のテーマもすでに決まっている。
カウンセリングって、対話による心理療法だから、決まったカタチはない。
でも、僕には対話するテーマが事前に決まっている方が安心して落ち着けるらしい。

リワークプログラムを無事修了し、復職が現実味を帯びてきた。
そうすると、復職を怖いと思っている自分もいることに気付く。
なぜ復職が怖いのだろう?
復職怖いと思うのはなんでだろう?

前回、カウンセラーにはトラウマが関係していると言われた。
過去の悲しい記憶。
過去に刻まれ続けてきた傷が影響しているだろうとのことだった。

過去のツライ思い出を蔑ろにしていたつもりはない。
むしろ、自分は他人より痛いと主張していた面もあると思う。
ただ、今回カウンセラーと話して気付いたことは、もっと痛がって良かったんだということ。
それは我儘でも自分勝手でも未熟でもなく、
当然の反応であること。
他人はもっと自分を守ってて、相手を犠牲にしてでも痛いことから回避していること。

怖い・悲しい・怒り・ツライ・悔しい・寂しい。
こういった感情を戒めなくていい。
そういう感情が芽生えるのは、当然の反応。

トラウマを受け入れるっていうと、すごく難しく感じる。
でも、そんな難しく気構え無くていいんだ。
ただただ、「ツライ!」って。
「アタマに来る!」って。
「悲しい。」って。
そうやって言葉に出してイイってことなんだ。
そのとき自然と湧き出た感情を、素直に自分の中で表現することなんだ。
「自分がこう感じているのは、当然だ!」
そう主観的に正当化することなんだ。

それを第三者に押し付けたり、ぶつけたりすると、
その相手が反発することはあるかもしれない。
でも、第三者に一方的にぶつけなければ、自分の中で表現するのは自由なんだ。
それでいい。それでいいんだ。

トラウマを言葉に出していく

サトウサン!こんにちは!
では始めましょうか。

カウンセラーが笑顔で出迎えてくれて、さっそく過去のトラウマを話していく。
面白いのが、言葉に出していくことで、その気持ちが実はまだ残っていて、
膿のように淀んでいることに気付く。
そして、言葉に紡ぐごとに、それが外に吐き出されていく感覚がある。

そうか、こうやって言葉にカタチを変えることで、気持ちっていうのは昇華されるのかも。
驚くのが、それを聞いてくれるカウンセラーは我慢強く聞いているのかと思えば、
僕以上に怒ってくれた。
僕以上に悲しんでくれた。

ああ、第三者でも、同じ感情になる出来事なんだ。

そう思うと、自分を許せる気がした。
こんな感情を抱く自分を恥ずかしく思っていたけど、
それは当然の反応で、その感情を抱く自分を認められる気がした。

当然の反応

サトウサンのトラウマは、怒ったり悲しんだりして当然だと思います。
聞いてるワタシもアタマに来ました。
むしろ、サトウサンはもっと怒って良いんですよ。

カウンセラーは静かに、でも力強く話しかけてくれた。

サトウサンは「大人気ないんですが」とか、
「こんなこと言っちゃってスミマセンが」とかよく言っていました。

そんなこと思わなくても本当はいいんです。
そう感じるのは自然な当然な反応です。
それをそのまま表現していいんですよ。
否定せず、遠慮せず、見て見ぬふりせず、
その感情を当然と受け入れて、表現しましょう。
それが大事なんだと思うんです。

もし言いにくいとか、言える場所が無いっていうなら、
このカウンセリングの時間に、ワタシが聞きます。
ぜひ聞かせて下さい。
サトウサンの怒りを、悲しみを、
ワタシも一緒になって怒りたいし、悲しみたいです。

そうか、素直に受け止めて、素直に表現していいんだ。
TPOを弁えなきゃいけないなら、カウンセリングで言ってもいいんだ。

休職して、失ったモノも沢山ある。
でも、主治医やカウンセラー、デイケアって居場所が沢山できた。
話せる相手が沢山できた。
感情を表現していい相手が沢山できた。
うん、得られたモノも、たくさんある。

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