これでいいのだ

休職日記(休職の心得)
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20XX年〇月△日(休職から406日目)

今日の気分:5/10
焦燥感:普通
疲労感:普通
抑うつ感:普通
自責感:普通
イライラ感:普通

今日の充実度(重要度):6/10
今朝はメンタル不調だった。
目覚めてもカラダが重い。
思わず二度寝してしまった。
いやダラダラ過ごしてしまった。
まだまだ寝不足なのだろうか。
もっと就寝時間を早める必要があるのかもしれない。

起床して、身支度もダラダラ進まない。
今日も午前中だけデイケア行く予定だったが、特別出たいプログラムも無い。
リワークデイケアを卒業し強制じゃなくなったから、
「行かなくてもいいんじゃないか」という考えが浮かんでくる。
復職も具体的に見えてきたなかで、
今日デイケアに行くことは僕にとって本当に正しいのだろうか?
もっと他にやるべきことがあるのではないだろうか?
これでいいのかな・・・ずっと不安が付きまとう。
そして今朝も動きが遅くなった。

それでも今日デイケアに行った。
遅刻したし、殆ど1時間くらいしか滞在しなかった。
デイケア通所費用は勿体ないのではとも思った。

今は行って良かったと思っている。
なんとなく参加したプログラムで大きな気付きと学びがあった。
これでいいのだ。
いま進んでいる道で大丈夫なのだ。
そう思うことができた。

そもそも精神障がいの定義って?

今日参加したプログラムは座学。
職員さんから問いかけられた。

そもそも精神障がいって何なんでしょうね?
精神障がいの治療やリハビリって、
何を持って『良くなった』と言えるんでしょう?

例えば、37.5度の体温がある場合は、「発熱」と判断され、風邪と想定される。
体温が平熱(36.9度以下と仮定)だと、風邪は治ったと言われる。
もしくは風邪の症状が良くなっていると言われる。

では精神障がいの場合はどうなのだろう?
分かりやすい症状の1つは幻覚だろう。
では幻覚だと精神疾患なのだろうか?
そうすると、「見間違い」なども精神疾患となってしまうかもしれない。
「見間違い」は誰でもある。
だから、上記仮説だと、実は全人類が精神障がいという見方になる。

さらに言えば、もし人類が滅亡し、自分ひとりしかいない世界ならば、
そもそも精神障がいとは感じないのかもしれない。
そう考えると、精神障がいって、実は各個人の主観が大きく影響する。
一般論では語れず個別性がある。

精神障がいを感じる要素

精神障がいは一般論(客観)ではなく各個人の主観に依存する。
では各個人が精神障がいと自覚しやすい条件はなんだろうか?

人類が滅亡し自分ひとりしかいない世界では自覚することは考えにくい。
そう考えると、他者が居ることがポイントになる。
つまり他者と比較してしまうからなのだろう。

そう考えると、社会に属していて、
自分とは価値観の違う人々やルールの中で生活を送っているときに、
人々は精神障がいを自覚しやすいのではないだろうか?

自分とは違う価値観の人々やルールの中で生きていくこと。
だから、私たちが生きている日常のなかで、
いろいろなことを試してみることで、
各個人が精神障がいと思わなくなり幸せを感じられるようになることが、
治療やリハビリの目指す方向なのかもしれない。

自分がどう生きていくか見つけること

いま僕は休職している。
オーバーワークによる適応障害。
だから、今までとは違うやり方を試して、
自分が幸せと感じる状態を探し維持することが大切なのかもしれない。

今の僕の価値観。
それは健康的な生活を送ること。
それはゆとりある安定した生活を送ること。
それは感謝を忘れず相手を大切にすること。
その価値観を指針として、目指すべき方向性として。
いろいろ行動を変化させて試すことが必要なんだ。

そう考えると、今の僕で良いんだと思った。
今日で言えば、遅刻し1時間だけだけどデイケアに通所する。
今まで試したことの無い行動。
そのなかで自分の思考や感情の移ろいを知ることができ、
自分の価値観に少し近付いた実感を得られた。
これは試さないと得られない成果。

復職が具体的に見えてきて、これでいいのかなって思っていた。
これでいいのだ。
だって、僕の価値観に向かって、色々行動を試せてるってことだから。
価値観という指針さえ見失わなければ、それでいい。

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