20XX年〇月△日(休職から274日目)
休職して約9ヶ月。
リワークデイケアに通い始めて2週目。
今までは主治医から静養するように言われていたのもあり、
ひとりで自由気ままに過ごしてきた。
デイケアというコミュニティで過ごすと、
今まで当たり前のことだったのに、
規則やコミュニケーションで疲れてしまう。
今日は久しぶりに友人と遊ぶ。
行きたかった飲食店やサウナにも行く予定で、ずっと楽しみだった。
でも、疲れるときは疲れる。
あんなに大好きな友人と楽しみな予定だったのに、なぜだろう。
例えどんなに好きな事でも、気の許せる仲間でも、
長時間過ごしていると疲れるものなんだなぁ。
じゃあどうやったら疲れないのだろう。
疲れる理由はきっと、気を張っちゃうから。
それが解決できればいいのになぁ。
順調な昼食とサウナ

友人と待ち合わせてからまず昼食へ。
ビジネス街ってこともあり混んでたが、それ以上にワクワクが勝って楽しく過ごしていた。
友人との会話も途切れない。
話したいことはある。
そしてとんかつを堪能してから、サウナヘ。
サウナでは原則会話NGだから、ここからはそれぞれで楽しむ。
友人は僕に気を遣ってくれて、最初の方は露天風呂やサウナ室のタイミングを合わせてくれた。
でも途中からそれぞれで楽しむ。
マイペースで過ごし、気持ちよく過ごせた。
2連続のカフェタイム

サウナを出た後、この後どうしようかと尋ねる。
夕飯まで時間あるし、カフェで時間潰そうと提案してくれた。
1軒目のカフェが1時間制だったので、2軒はしごすることに。
なぜか僕の中に焦燥感が芽生えてくる。
何かしなきゃ。何か話さなきゃ。
その時の焦燥感を文字化すると、そんな感じ。
大好きな親友とカフェでまったり過ごしているはずなのに、なぜか疲れ始めている僕がいた。
疲れ切っている夕飯

そして夕飯、友人の希望でチャーハンがオススメの名店へ。
夕飯時に合わせたこともあり、仕事帰りのサラリーマンで大混雑。
わちゃわちゃしている中を掻き分け、店内に肩をすぼめて着席。
チャーハンが届いたが、味も友人との会話もあまり覚えていない。
友人は美味しかったと言っていた。
別れ際、なんで信頼する友人と好きなことをして過ごしていたのに、
こんなに疲れてしまったのだろうと罪悪感。
どうすれば良かったのだろう。
甘えて、緩和する

1件目のカフェで友人に出されたアイスコーヒーは、
氷が1つだけ入っており、球体に綺麗に整えられていた。
それを見てると、なんか少し気が楽になった気がした。
例えどんなに気の許した友人でも、好きなことをしていても、
僕は気を張ってしまうみたいだ。
親しき中にも礼儀あり。
相手が嫌な思いをしないように、楽しく幸せな時間を過ごして貰えるように、
一挙手一投足にも気を付けているからかもしれない。
恐らく、気を張ることを完全になくすことは出来ないだろう。
それを否定しようとすればするほど、むしろ強調されてしまう気がする。
だけど、だから、緩和することは出来る気がする。
解決することは、完全になくすことではない。
解決することは、気を張ることを緩和しながら、
気を張りつつも最後まで幸せに満喫できることなんだと思う。
短時間なら今まで通り気を張って楽しむのもありなんだろう。
でも、長時間だとどうしても疲れてしまう。
ではどうすればいいのだろう?
きっと相手に甘える事なんだと思う。
相手の厚意に甘えること。
相手に委ねること。
相手を頼ることなんだと思う。
信頼している友だから、できること。
なんとかしなきゃ!何か話さなきゃ!
自分でぜんぶをやろうと思わず、どっしり構えて天井を見上げる。
黙って深呼吸をする。
そうしているうちに、きっと相手がなんとかしてくれる。
そしたら僕は合わせていけばいい。
長時間一緒に過ごしていれば誰だって疲れる。
だから、長時間のなかで気を抜くことが大事なんだ。
気を抜いてる最中は、相手に頼る。
相手がなんとかしてくれているうちは自分は合わせるだけ。
それでオートモードになるから、気を抜ける。
そうやって支え合っていけばいいんだと思う。
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