こころについて考えさせられる本

休職日記(休職の心得)

20XX年〇月△日(休職から267日目)
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先日からデイケアに通い始めた。
デイケアとは『ココロのリハビリセンター』だと僕は思っている。
主治医(病院)で診て貰うが、
デイケアでは日常生活が送れるようにリハビリをするんだと思っている。

だから入所する前は叫び散らしたり、
暴れまわったりするような人たちがいるイメージがあり、少し怖かった。
でも実際に入所してみると、もの凄く心やさしく、純粋で、素直で、魅力的な人ばかり。
正直、顧客や会社の人たちより話しやすい。

顧客や会社で働いている人たちは、いわゆる健常者と呼ばれている。
なかには肩書などで評価されている人は、成功者とか優秀などと持てはやされている。
しかし、そんな成功者とか優秀などと呼ばれている人のなかには、
平気で人を傷つける人や貶める人,人格否定する人,責任を押し付ける人,
良いとこ取りして嫌なことは人に押し付ける人が非常に多い。
利己主義な人が多い。
僕の経験則ではそう思っている。

そんな『健常者』と呼ばれる人たちと、
デイケアで出会った人たちのような『精神疾患』または『精神障害』と呼ばれる人たち、
どちらが本当の「こころの病」なのだろうか?
どちらが問題を抱えているのだろうか?

僕の価値観では、自分も相手も大切にできることが素晴らしいことだと思っている。
デイケアで出会った人たちは、純粋で慈愛に満ちており、
相手を大切にしようという意志が感じられる。
一方、『健常者』と言われる人たちの中には、
自分が得することばかり考えて無慈悲な人も多い。
そんな人たちがチカラを持って無慈悲な振る舞いをするから、
それで傷付いた人たちが精神疾患になるんじゃないだろうか?

健常者ってなんだろう?
精神疾患ってなんだろう?
こころの病ってなんだろう?
そんなことをより強く考えるようになった。
そんな時に出会った漫画がある。

精神科ナースになったわけ (コミックエッセイの森)

その内容はココロについて凄く考えさせられた。
是非紹介させて頂きたいと思う。

この人はこの人のルールで生きているんだ


精神科ナースになったわけ (コミックエッセイの森)

本書は精神科で働く看護師さんの物語。
思うこと、考えさせられることは沢山ある。
その中でまず書きたいこと。

そもそも、健常者とか精神疾患者とか違いも隔たりも無いのかもしれない。

例えば本書では24時間365日帽子をかぶり続ける患者が出てくる。
帽子をかぶり続ける理由は「脳みそが出てくるから」。
看護師は否定も肯定もせず、
「まず3分間だけ外してみて脳みそが出ないか確認してみませんか?」
と提案し、本人に確認しながら少しずつ帽子を外す時間を伸ばす試みをした。

普通、脳みそ出ないでしょ?

まあ多くの人がそう考えるでしょう。
でも、大なり小なり誰でもありそうな事例だとも思うんだ。
例えば僕なんかは、銭湯の脱衣所では13番のロッカーはできるだけ避ける。
理由は「忌み数で呪われそうだから」。
これだって何の根拠もない。
僕の勝手なルールで「13番のロッカーは避ける」という選択をしているだけである。
この事例と帽子をかぶり続ける事例、何の違いがあるのだろう?

誰もが、独自のルールや信念を持っている。
その独自のルールが多数派になると、それは「常識」と言われるようになる。
ただそれだけ。
そう考えると、たまたま「独自のルール」が認められただけで、
あなたも僕も、健常者であり精神疾患者でもあるのかもしれない。

感情のコントロール


精神科ナースになったわけ (コミックエッセイの森)

自殺がテーマの項目で印象的だった言葉。

本気の人は自殺を止めるの難しい。
私の場合、本気というより必死だった。

本書では医師や看護師にも「問題無し」と印象付けて、
遺言や身辺整理など計画的に済ませた上で自殺してしまった患者が出てきた。
その人は本気の人だという。
上記コメントの人は本気ではなく必死だったから、自殺を止められたという。

本気ではなく必死とはどういうことか?
本書を読んでいる限りの考察だが、
恐らく絶望やココロの限界を迎えた時、
自分を超えた衝動に駆られて行動している時が必死だという。
感情のセルフコントロールが出来なくなった時ってことかな。

自分の意志とは別の何かに「させられる」…
それが病気

本書での台詞だ。
誰でもこういう経験はないだろうか?
感情ってコントロールできない時ってあるんだろうなぁ。
そんな時は自力では限界があるから、誰かの支援を貰っていいと思う。
お互いに支え合うため。
そのために日常会話や挨拶って必要なのかなって思った。

否定はしない


精神科ナースになったわけ (コミックエッセイの森)

妄想癖がある人の話。
でもこれだって、その人にとってはルールであり常識になっちゃっている。
だから、否定されたら頑なになっちゃうんだろうなぁ。

本書では、最初相手から否定されていた時には攻撃的な反応になっていた。
しかし途中から、妄想を肯定したうえで会話をする。
肯定したうえで、当事者本人が感じている問題をみんなで話し合う。
そうすると、自然と症状が治まっていったらしい。
でも、それを「妄想」と否定する人がいると、また攻撃的になるんだとか。

僕は過去に購買総部長に、
「キミを昇格させたのは間違いだった」と言われたことがトラウマになっている。
その理由は否定されたからだ。
そこから説教のように学べることは何も無い。
ただの人格否定,存在否定の言葉。
そう考えると、否定ってアクションは物事を解決する効力って皆無なのかもしれない。
否定ってアクションはむしろ、問題を悪化させる効力が絶大な気がする。

否定ではなく、受け入れたうえで自分の意見を伝える。
「そういう考え方もあるんだね。僕は〇〇と思うんだ」って感じ。
そうやって否定ではなく話し合うことが、解決する効力を持つのかもしれない。

愛されているという実感


精神科ナースになったわけ (コミックエッセイの森)

自傷行為をする人の話もある。
その理由は生きているって実感したいから。
あとは愛されたいから。

自傷行為をする人って、本書で感じたのは、
何かしらの理由で幼少期に愛情を甘受出来なかったんだろうなぁってこと。
そうすると、自分の感情が分からなくなる。
いや、本当は「寂しい」って感情なのに、
その感情を受け入れるのが辛くて怖くて、
感じないように麻痺しちゃうんだろうなぁ。

でも気付かないだけで「寂しい」って感情はたしかにそこにあって。
でも気付かないから、わけもわからずモヤモヤしちゃって。
それをどうにか解消したくて、楽になりたくて、幸せになりたくて。
その結果として、選んだ行動が「自傷」なんだろうなぁ。

そう考えると、親子愛って大事だなって思う。
改めて両親に深く感謝したいと思う。
そして、大人になったいま、愛し愛されるように、
デイケアとか友人関係とか、今ある繋がりを大事にしたいって思う。
それをお互いに感じられるように、平凡な日常会話や挨拶を軽くても細やかにするのって、
大事なんだなって思う。

いつでも死ねる


精神科ナースになったわけ (コミックエッセイの森)
今じゃなくてもいつでも死ねるもんね

この台詞が印象深い。

死なないで下さい。
今はまだもったいないです。

死にたくなった時。
死ぬって言う選択肢しかなくて、それが辛い悲しいって思うのは嫌だ。
それなら。
あと3年生きてみようって思う。
そうすれば、3年間は「死ぬ」という選択肢も含めて、
自分が幸せになるために沢山選べるってことだから。

死にたくなるくらい辛い時。
死ぬって悲しい行為ではなく、
死ぬって気楽な選択肢が残っている、
そんな考え方を意識していきたい。

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