出来るだけでいい、無理なく

休職日記(休職の心得)

20XX年〇月△日(休職から334日目)

少しずつ変わっていっているのかもしれない。
休職して約11ヶ月。
最初の3ヶ月は、とにかく活動的だった。
今思うと、きっと1分1秒にどのくらい経験と学びが蓄積できるか、
その1分1秒にどれくらい付加価値がつけられるか気にしていたんだと思う。
そう、無駄な時間を過ごしてはいけないと思っていたんだ。

4ヶ月目~8ヶ月目は主治医の意向で出来る限り活動量を抑えた。
週2~3日は誰にも会わず、徒歩圏内の移動しかしないような日々を過ごした。
どれだけ無駄な時間を過ごしているのだろうと不安に思う時もあった。

そして、9ヶ月目~今に至るまで、リワークデイケアで学んでいる。
今思うのは、「無駄」と思う時間でさえ、無駄ではなかったということ。
無駄で非生産的な時間にこそ健康と幸福を高める効果があることを感じている。

学生時代は「誰も傷付かない」をテーマに、出来る限り活動しないよう心掛けてきた。
その経験から、何もしないことこそリスクだと何となく学んでいたのだと思う。
でも今思うのは、「何事も程々がいちばん」ということ。
「程々」って何だよって思うけど、
たぶん、「あ、こうしよう」と自然と思い行動する連続が「程々」なんだと今は思う。

環境が変わったら不完全で当たり前

今日からリワークデイケア3ヶ月目に突入。
今まで頼りになった先輩方が卒業され、代わりに新しい人たちが入ってくる。
先輩方が支えて下さったところもあり、自分に先輩方と同じように出来るだろうか。
不安になる。

予定より朝早く目覚めてしまう。
仕方ないから起床。
その分、朝はゆっくりゆとりを持って過ごせた。
家を出て、スローペースな歩行でデイケア施設に向かう。
その時に何となく思った。

うん、全部を完璧に熟すなんて無理だわ。

その時できることをやろう。
抜けがあったら、誰かやってくれるだろう。

施設のトビラを開けると、職員さん含めいつもと同じ顔ぶれ。
大丈夫、今までの延長線だ。
結局、新しいメンバー交えた初日が始まっても、
慌てることなく最低限のフォローは出来た気がする。
マイペースな口調で、気付いた時だけ対応。
足りないところは誰かがフォローしてくれる。

完璧なフォローでなければならないと思うと大きなエネルギーが必要になる。
「無理なく、出来ることだけ」と思えると気負わずにそつなく熟せるもの。

そして完璧と思うと減点方式になっちゃうが、
「無理なく、出来る事だけ」と思うと加点方式になる。
だから、自分を責めることなく認めてあげられる。

不運が続いてもマイペースで

午前中は順調だった。
お昼ご飯に向かう。
ずっと気になっていた店に向かうが、自分の目の前で営業終了の合図。
せっかくここまで来たのに。

仕方なく臨時で近隣店舗へ。
店がメチャクチャ狭い。
空気が淀んでいる気がする。
そして量が思った以上に多い。
そのせいで、だんだん気持ち悪くなってくる。

目的の店では食べられないし、高単価だし、気分も悪くなる。
最悪だ。
今までなら低いテンションに対して焦燥感に襲われ、より一層ドツボに陥っていた。
でも、今回はちょっと違った。

いいや、午後遅刻しても。
ちょっと外気浴しよう。

別にサウナに行くわけではない。
暫く散策し、人気が少ないが、広々していて外気に触れられる場所を発見。
暫くそこで佇むことにした。

通りすがる人からすると、あの人何やっているんだろうと不審に思われるだろう。
それぐらいただただ佇みボォーっとしていた。
何も考えず青空を眺める。

そのおかげで、最終的には短時間で気分回復し、遅刻することなく戻れた。
完璧にやらなきゃって思わなくていい。
そもそも完璧とか優等生とかって誰が決めるの?
ヘンな行動してたって、誰にも迷惑かけていなければ、それは個性というと思う。
それは長所と言えると思う。
だから完璧でも優等生でもなくていい。
ありのままの君がいちばん美しい。

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