なぜ疲れ切ってしまったのだろう?①

休職日記(休職の心得)

20XX年〇月△日(休職から268日目)

今日で一週間、リワークデイケア通所し切った。
初日に〔今週の目標〕を設定したが、それが以下3つ。

  1. 就寝時間を早くする(最低7時間睡眠確保)
  2. 遅刻欠席せずに一週間通所し切る
  3. 無理しない。頑張り過ぎない。

おかげさまで2番は完遂!
1番も達成できた!
しかし、3番については意識してきたつもりなのに、
無理したつもりはないのに、プログラムを終えたらドッと疲れが。

ご褒美に焼肉きんぐの予定を入れていたが、あまり食べられず、
帰宅しても数時間呆然としていた。

施設の人たちは皆いい人たちだ。
世の中に、こんなに【やさしい世界】があるのかと思うほどだ。
それなのに、なんでこんなに疲れ切って、見方を変えれば落ち込んでしまうのだろう。

会社のようにお客様からの罵倒やパワハラなど、僕にとっての悪役が居ればわかりやすいのに。
みんないい人だから、余計にモヤモヤする。

自分なりに疲れ切ってしまった理由を分析してみた。

無意識に無理してしまった

よくよく考えれば、実は気付かぬうちに張り切り過ぎてしまったのかもしれない。
週3日のうち2日間を終えて、思った以上に居心地が良くて、
最終日は行くのが楽しみになっていた。

もともとの〔今週の目標〕では頑張り過ぎず、無理せず、マイペースに過ごすなのに、
各プログラムで「頑張らなきゃ!」・「期待に答えなきゃ!」って思ってしまっていた。
そんな気がする。
最早無意識だから自信はない。

じゃあ、なんの期待に答えなきゃって思っていたんだろう?

良い他人評価ペースに振り回されちゃいけない

初日・二日目と初めて尽くしで全員と初対面だから、逆に堂々としていられた。
初めてだから分からなくても仕方ないっていう免罪符。
分からなければ最初は教えて貰えばいいし、
遠慮するより自分が思うままに行動し発言した方が早く勝手が分かる。

模擬演習やグループワークなどその姿勢で取り組むと、
大変有難いことに多くの方が言ってくれた。

サトウサンは「有難う」とか「素晴らしい」とか前向きな言葉が自然に溢れ出てきて凄いですね!
こんな人間出来た人いるんだって思いました。
人の良いところに直ぐに沢山気付いて、
話してて安心感がありますね。

凄く褒めてくれるのだ。
それは凄く嬉しいし、生きるエネルギーになる。
そうすると、最終3日目には無意識にもっと欲しくなっている。

みんなの誉めてくれた評価に答えなきゃ!

気付けばマイペースでなく、褒められた言葉たちのペースに振り回されていた、んだと思う。

マイペースって、思った以上に強く意識し続けなきゃいけないな。
油断するとあっという間にペースって握られてしまうものなんだな。

気を付けなきゃなって学びになった。

そして自意識過剰に・・・

今週の最終プログラムは、受講者みんなで自分の強みを申告し、
それをどう復職後に活かしていくかを発表。
その後他の受講者で、その人の強みを伝えて、みんなで気持ちを盛り上げていく。
そんなプログラム。

自分の発表のとき、有難いことに多くの方がどんどん褒めてくれた。
しかし約1名、何も意見せず黙ったまま終わってしまった。

え?僕なにか悪いことした?
気に障ることした?

他の人の発表の時にも全員が意見したわけではない。
だから何一つ不自然なことはない。
時間も押していたから遠慮したのかもしれない。

でも全員から褒められなかったという事実。
それに凄く傷ついている自分がいた。
そう、自惚れていた。
多くの人から、関わる度に褒めて下さるから、褒められて当たり前って思っていたのかもしれない。

受講者みんなの人柄が素晴らしく、皆さんの人間性が出来ているからなのに、
何を自惚れていたのだろう。
とんだ未熟者。
とんだ欲張り者だ。

【知足利他】
これを自己理念に掲げているくせに、今日は他人を利するように見せかけて自分のことばかり考えていたのかもしれない。
『足るを知る』
今まで賞賛頂いた事実だけで勿体ない。
僕という人間が居ると認めて貰えただけで充分有難い。
思い上がらず、当たり前と思わず、感謝を忘れずに生きていきたい。

欲に溺れず、マイペースを強く意識して、自分らしく生きよう。
その指標が疲れ切るか否かかもしれない。

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