全力で生きていく

休職日記(休職の心得)

20XX年〇月△日(休職から247日目)

朝、いつものように目が覚めて、日課の勉強動画を見る。
そして二度寝のために、また布団に潜り、目を瞑って学んだことを考える。
こうやって時間を自由に過ごせることが、休職して実体験で学べた幸せだ。

そういえば幸せって何だろう?
もちろん「その人にとって望ましいこと。不満がないこと」、辞書レベルの意味合いは分かる。
でも、幸せの感じ方,幸せの尺度は個人差がある。
僕が感じる幸せを、第三者は「災難だったね」とか「私には耐えられないな」とか、
それを幸せとは感じないのかもしれない。

辞書レベルの意味合いなら、僕はいま「幸せ」なのかもしれない。
休職して収入は激減したし、貯金を切り崩しているし、
今まで築き上げてきた地位やビジネス人脈も薄れつつある。
でも、いまの生活に不満は無い。
いまの僕には望ましい日々を過ごさせて貰っている。
きっと数年前の僕なら嘆き続けていただろう。
それはたぶん、僕自身が成長できているってことだと思いたい。

じゃあなぜ成長できたのだろう?
なぜ満たされているのだろう?
それを考えると、「全力で生きてきた」からだと思う。
一瞬一瞬を一所懸命に生きていさえすれば、全てのことに、きっと意味がある。

全力で悩んできた

思えば僕の苦難は高校時代に遡る。
それはコミュニケーションに対する恐怖。
友人への恐怖。

ある時、仲の良かったグループの1名が不登校になった。
誰でも学生時代に、友人同士が群れているのを身近に見たり感じたことがあるだろう。
不登校の理由は控えるが、その時のグループ内の反応の印象。

まああいつは不登校になっても仕方ないよな~。
身から出た錆ってやつ?

たしかに彼は自分本位なところはあった。
それで不満を感じる場面も多々あった。
でもそれでも、ずっと一緒だったのに、
心配するどころか、ちょうどいいから切り捨てようという反応に感じた。
誰も連絡しない。まるで最初から居なかったかのような反応。

帰り道、気付けば僕は皆と怖くて話せなくなった。
今まで無意識に会った絶対的な自信が喪失した。
勝手に築かれつつあったカースト制度の最下層に身を置いて、
自身も痛みが分かる人間にならなければと本能的に考えた。

それ以来、人間関係に悩み続ける。
高校・大学時代は「何も行動しなければ誰も傷付かない」という妄信に囚われ、
個人的に鬱屈とした日々だった。

でも、あの時真剣に悩み続けたから、いまがある。
関係が続いている友人たちはココロから信用できる。
真剣に行動しない選択肢を続けたからこそ、行動しないリスクの大きさを身を以て知っている。
行動するからこそ人に優しくなれることを知っている。
全力で悩んできたからこそ、後悔はない。

全力で闘った

社会人になってからは全力で働いた。
就活時代に出会った本のおかげで「忘己利他」を自己理念に一所懸命に働いた。

時には新人時代に当時の営業部長に土下座させられ、
クビに追い込んでやると脅される日々もあった。
その時も全力で悩み考え、多くの人の協力を得ながら自力で乗り越えた。

時には大きなプロジェクトやトラブルにも何度も見舞われた。
今回、耐えきれず休職することに。
でも、ドクターストップがかかるまで死ぬ気で働いた。
死力を尽くしたからこそ、サラリーマンの喜びとリスクを知ることができた。
いい加減に仕事してたら、きっとここまで実感することは出来なかったと思う。

全力で学んだ

学ぶってなんだろう。
「習得すること・経験して知ること」。
辞書ではこんな感じで書いてある。
僕は「その時自分が思い立ったことを全力で本気で実践すること」だと思う。

彼女が欲しいと思った。
結婚したいと思った。
そう思って婚活に必死に励んだ時期があった。
恐らく数百人の女性とお会いさせて頂いている。
でも悲しいほどにモテない(笑)。
今では結婚できなくてもいいやと割り切れている。
負け惜しみ100%ではない。だいぶ自分のなかで腑に落ちている。
それも全力で婚活し、恋愛や異性について自分なりに学べたからだと思う。

婚活のなかで異業種交流の縁もあった。
彼らからすると善意だったかもしれないが、
当時は精神的に追い込まれ抜け出すのに大変だった記憶が残っている。
でも彼らを全否定するつもりはない。
たしかに人生設計やお金の考え方がガラリと変わる学びがあった。
そういう生き方もあるのだろう。
でも僕にはほぼ24時間拘束されるような過密スケジュールと、勧誘活動がどうしても賛同できなかった。
彼らにとっての「幸せ」より、
僕にはいまある友人と時間の方が価値が大きいことを教えて貰った。
支払ったお金と時間の代償は大きかったが、リスク承知で全力で行動したからこそ、
学べたことがあった。

全力で休んだ

休職して2ヶ月経った頃。
「何もせずダラダラと過ごして下さい」
休職期間は3ヶ月だったのが、無期限になった。

あの時は頭ではちゃんと休まなければと思っていたけど、
無意識に早く戻らなきゃと先入観があったんだろう。
今までの過ごし方が「24時間戦えますか?」という具合だったので、
先の見えない静養宣告に目の前が真っ暗になった。

でも、主治医の診断に従い、本気で休むことにした。
だからこそ、いま幸せを感じている。
今までと全く生活が変わったからこそ、気付けることがある。
自分を犠牲にしてまで無理をしてはいけないこと。
仕事だけに邁進するよりも自由時間がある方が人として豊かになれること。
会社という枠組みも、マルチや宗教のような洗脳じみた一面を持っていること。
全力で休んだからこそ、気付けたことがある。

全力で生きれば後悔はない

この半生を振り返ると、山あり崖ありの苦難の道だったなと自分では思っている。
もっと器用にスマートに生きている人を何度羨ましく思ったことか。

でも、「過去に戻れたら?」と質問されれば、きっと僕はまた同じ道を繰り返すだろう。
過去を振り返っても、後悔は無い。

なぜなら、いつも全力を尽くしてきたから。
誰かに100%流されるのではなく、自分で選択して実践し切ったという自負があるから。

いま幸せを感じている理由の1つに、
「やり切った。後悔は無い!」
という自負があるからだろう。

幸せになるためにこそ、「その時一瞬を全力でやり切る」ことが必要なのかもしれない。

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