20XX年〇月△日(休職から228日目)
生きていると「楽をしたくなる」時は往々にしてある。
たしかに人間平等に1日24時間しかない。
時間は有限である。
だから、効率化を図って自由な時間を生み出すことは必要だし大切だと思う。
でも一方で、目の前の現実と向き合わず、手を抜いてテキトーにやり過ごすのは、
僕はオススメしない。
なぜなら、真正面から向き合っても、目の前のことから逃げても、
ある程度の辛さは必ず付いてくるからだ。
リスクはどちらもあるのに、メリットは逃げた時より向き合った時の方がトータルで大きくなるのだ。
だから、たとえ今は辛くても、真正面から目の前の現実に向き合うことを僕は推奨したい。
法要での僧侶の教え
今日は親族の法要があった。
墓石に集まり、お坊様の御経を聞きながら合掌。
今までの感謝と、あの世と来世での幸せを願う。
最後にお坊様からの教えのお言葉。
我々は何も悪事は行っていないと思いがちです。
ですが、人間は生き物を殺し食しています。
ただ食べるだけではなく、「より美味しいモノ」を求める欲に塗れています。
そう、我々は自分で気付かぬうちに悪事や煩悩を抱えて生きているのです。
だから、最期は仏様に天国に導いて貰うのです。
個人的にこれは学びがあった。
人間、気付かぬうちに必ず悪事を働いてしまっている。
自分では品行方正に生きているつもりでも、
もしかしたら無意識のうちに人を傷つけているのかもしれない。
だからこそ、いつも神様が見ているという意識で、
無意識で行ってしまっている罪を償うように、
常日頃善行をする心掛けが必要なんだ。
「誰かの役に立つ」
「自分も相手も幸せになる」
「迷惑をかけない」
「相手を傷付けない」
自利利他・知足利他をいつも心掛けて、これからも生きていきたいと、より強く願った。
親族の悩み
途中、親族と会話する機会があった。
どうやら家族に関して悩んでいるようだ。
色んな要素が重なっているから、複雑怪奇な問題に思える。
しかし、一つ一つ解きほぐしていけば、物事はシンプルにたどり着く。
一見聞いていて子供の悩みに聞こえたが、僕は一番の課題はパートナーだと感じた。
親族は子供たちと向き合っているが、パートナーは自分のことを最優先しているらしい。
子供たちが過ちを犯した時も、叱るのではなく怒鳴っているという印象だ。
それは躾や教育ではなく、不快だから自分のために怒っているという印象だ。
だからなのだろう。
子供たちはこう言っているらしい。
親族のことは大切。
でもパートナーのことは嫌いじゃないけど、居てもいいってくらい。
パートナーも内心感じ取っていて悩んでいるようだ。
この話を聞いて、僕自身勉強になった。
人間、目の前の壁を乗り越えるこ都から逃げず、
真正面から向き合い真剣に努力すべきだと。
今の親族の話でいえば、親族もパートナーも家族と一緒の時間を過ごすことは変わらない。
だから、子育ての辛さ、子供が言うことを聞かない辛さは必ず感じることになる。
そう、辛い思いは必ずするのだ。
壁は消えず、そのままそびえ立ち続けるのだ。
逃げ続けたら、その壁はずっと立ち塞がり続け、ずっと悩み続けることになる。
それならば、例え今は登るのに辛くても、真正面から向き合い、乗り越える努力をした方が良い。
登り切ったら、何かしらの幸せが待っている。
親族の話で言えば、子供たちからの信頼と信用を勝ち取れる。
もしくは、「私は全身全霊を尽くした。後悔はない」という達成感が得られる。
だから、逃げるのではなく、一所懸命励むことが必要なのだと、僕は学んだ。
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