20XX年〇月△日(休職から179日目)
※本サイトで紹介している商品・サービス等の外部リンクには、アフィリエイト広告を利用しているものがあります
休職してからも答えが出ないことがある。
あの時、「どうすればよかったのか?」ということだ。
正直、自身の仕事ぶりには後悔はない。
全力を出し尽くした。120%以上のチカラで取り組んだ自負がある。
これでダメなら死んで償おうと覚悟し、背水の陣で励んだ。
今あの時に戻っても、きっと同じ運命を辿るだろう。
そのくらい、持てるチカラを全て出し尽くしたので、後悔はない。
でも、これから先のことを考えると、悩んでしまうことがある。
それは「仕事のさばき方」だ。
上司から仕事を押し付けられ、光栄なことに社内からは頼られ、お客様は無理難題を言う。
この職場環境はきっと変わっていない。
でも、「保身」に走ってしまうと、
上司と同じように責任や仕事を人に押し付ける人間になってしまいそう。
それは僕の人生観に反する。
生きる価値も意味も無くなるので、その選択肢は選べない。
では、また同じ運命を辿るしか無いのだろうか。
組織の中で縛られた中で、どうやって仕事を捌いていけばいいのか。
どうやって責任を果たしながら、自由な幸せな時間を充分に確保すればいいのか。
その答えを探すべく、「課長」に関する本を読んでみることにした。
その中で出会った本の1つが、
この本を読んで感じたことを記したい。
’’サル’’を預かってはダメ
本書では’’サル’’という言葉が良く出てくる。
中間管理職の主人公は、部下から’’サル’’を預かってしまい、
朝から部下に「’’サル’’どうなってます?」と聞かれる。
主人公のデスクには何匹もの’’サル’’が暴れており、なかにはグッタリした’’サル’’もいる。
自分の’’サル’’がグッタリしているが、まずは部下の’’サル’’をどうにかしなければ!
この’’サル’’とはプロジェクトやトラブルといった仕事に伴う「次の対応」を指す。
要は「次の対応」を自分が持たないようにすることが、仕事の捌き方のコツだという。
この感覚は僕にもある。
プロジェクトで研究開発部門と仕事をしている時に、
「今この案件は研究開発部門の回答待ちだな」って感じ。
まるで椅子に座って導火線に付いている爆弾をバレーボールのような感覚でパスし合っているようなイメージだ。
この中で次のようなフレーズがある。
人助けに奔走する善男善女たちだが、結局は助けたい相手を甘やかしてダメにしてしまう。
本書の中で、「いなくては困る上司から、いなくてもいい上司」があるべき姿とある。
いなくては困る管理職など百害あって一利なしのようだ。
このことから、プロジェクトメンバーから’’サル’’を預からないこと。
プロジェクトメンバーに’’サル’’を返すことが仕事の捌き方で必要なのかもと思った。
プロジェクトリーダーとして、相談には乗るが、’’サル’’≒次の対応はちゃんとメンバーにやらせる。
これは少し心掛けたいと思った。
ただ、そもそもプロジェクトリーダーと、営業部員を兼任していることが、そもそも無理があるのではないかと思ったが。
営業部長は間違っていなかったかもしれない
本書では下記のようなフレーズがある。
部下が現場を仕切れば、管理職は部署の運営、改革、人事などの本来の職務に専念できる。
そもそも管理職は組織の運営、改革、人事が本業なのだ。
そして管理職は、部下と話し合いをして、次の話し合いが再会されるまで、’’サル’’を部下に預かってもらうべきらしい。
その話し合いを定期的に行うことが必要だと。
そう考えると、営業部長の仕事の捌き方は正しかったのではないだろうか?
営業部長は月に1回、面談の機会を設けていた。
それが定期的な話し合いの場だったのだろう。
そして部下と話し合うが、現場の’’サル’’は部下に任せる。
これを徹底していたような気がする。
すこし営業部長への見方が変わった。
ただ、あえて問題点を言うなら、本書の下記フレーズだろう。
一任するためには下記2点が必須だ。
・プロジェクトが軌道に乗っていること。
・そのプロジェクトを仕切るだけの能力が部下にあること。
この2点をクリアしないで部下に主導権と責任を渡すのは、
一任ではなく放任である。
僕が急遽上司から任された大きなプロジェクト。
前々任の発起人は退職。
その後を引き継いだ前任の営業課長にはこう言われた。
俺も分からねーんだよなー。
当社に誰もプロジェクトの詳細を分かっている者はおらず、
僕も何も分からない状態で「あとは任せた」と言われた。
発起人も営業課長もケアしていないトラブルがいくつもあり、暗礁に乗り上げていた。
本来なら、この状態のプロジェクトは当分営業部長が責任もって指揮を執り、
ある程度落ち着いたら部下に引き継ぐべきだっただろう。
課長の在り方が悪い
本書を読んで思ったのは、当社は「課長の在り方」が間違っているということだ。
休職前、営業課の実態。
営業課長はこう言っていた。
俺なんてお飾りみたいなもんだ。
何もできないよ。
そして実際、営業課長としての職責は何一つ果たさなかった。
営業課長の職責を代わりにやっていたのは、営業部長と営業エース、そして僕だろう。
そもそも課長の役割とは何だろう?
課長とは、職務分掌上最も小さい単位の組織『課』を管理する責任者だ。
だからこそ、『課』に所属する部下全員のモチベーションを上げ、
管理しつつ生産性を向上し、『課』として成果を出すことが役割だと思う。
一方、部長の役割とは何だろう?
部長とは、課長を管理しながら経営側(取締役)と交渉し、
『部』または事業の指針と計画を緻密に組み立て、『課』で実行してもらうことが役割だと思う。
だから、「課長」と役職がある人が、そんないい加減で無責任な仕事をしてはいけないのだ。
本来なら、営業部長が早急に当時の営業課長を解任し、他の人を据えるべきだった。
なお、人事部長から聞いた話では、僕が休職してから営業課長は解任されたらしい。
しかし、新たな人が就任したわけではなく、なんと営業部長が兼任しているようだ。
さらには営業部長が僕のプロジェクトリーダーも兼任しているらしい。
『営業部長・兼・営業課長・兼・プロジェクトリーダー』
これはいかがなものだろうか?
そもそも営業部長と、営業課長では役割が違う。
それを兼任するとあっては、どうしても一人の人間の労力と時間には限りがある。
その結果、部長としての仕事も、課長としての仕事も中途半端になるだけではないだろうか?
こんな組織構造で成果を出せというのは、英英者にも問題があると僕は思った。
兼任は間違っている。
ちゃんと『課長』としての責務を果たせる人。
ちゃんと『部長』としての責務を果たせる人。
それぞれを別々に据えることが必要なことだと思う。
そういった人材がいないのなら、教育する工程が必要ってことだ。
それは経営者の責任だ。
本書を読んで、上記を考察した。
コメント