独身だからこそ闘える

休職日記(休職の心得)

20XX年〇月△日(休職から72日目)
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映画『新聞記者』:組織と権力に対し個人がどうあるべきか考えさせられる名作

アマゾンプライムで映画を見た。
『新聞記者』
日本アカデミー賞最優秀作品賞に輝いた名作である。

本書はリアリティーに近い社会派サスペンスフィクション作品。
主題は国政だと思うが、僕はそこには特筆しない。
賛否両論さまざまな意見が議論され各々が考えることに意義があると思うし、
そこに個人的メスを差し込むには勉強不足だからだ。

僕が感想を述べたいのは、

時代は【組織・集団主義】から【個人主義】に移行すべき。

ということだ。
「人間は考える葦である」
思想家パスカルの言葉だ。
考えることができるからこそ、人間は集団で行動するようになった。
葦も束になれば強固になる。
集団になり、組織になれば個人では成し得ないエネルギーを生み出すことができる。

しかし、集団が出来ると、個人は淘汰される傾向がある。
集団でエネルギーを得た強者が、弱者を捻り潰す歴史がある。

時代は進化している。
これからは【集団・組織】の利点よりも、
【個人】の方が利点が増え、
追い風が吹いていくと思う。
個人だからこそ闘えることもある。
独身だからこそ、出来ることがあると思う。

情報社会での組織の意味

映画『新聞記者』:組織と権力に対し個人がどうあるべきか考えさせられる名作

組織・集団の最大のメリットはエネルギーだろう。
個人のチカラでは限界があるが、集団・組織になれば出来ることの幅が増える。
ヒト・モノ・カネの資本も桁違いに大きくなる。
だから、資本主義社会が世界の主流になっているのではないだろうか。

しかし、集団・組織になると、必ず「リーダー」というチカラを持った人物が現れる。
集団・組織のパワーを操れる権力者だ。
その権力者が「世のため人のため」という正しい道徳・哲学・人生観を持っていればいい。
ただ残念ながら、そういった道徳・哲学・人生観を持ち合わせない人物が権力者になってしまうことは往々にしてある。
それは歴史が物語っている。
そうすると、間違った方向に膨大なエネルギーを傾けることになってしまうのだ。
それが組織・集団の欠点だと僕は思う。

一方で、インターネットが普及した現代に組織の利点はどのくらい価値があるのか?
個人がSNSやブログでアピールし、世論という個人の集合体が評価すれば、
その個人は強大な資本とエネルギーを入手できる。
過去は資本とエネルギーを得る手段が組織しか無かったが、
今は個人でも得る手段が確立されている。

そうすると、誤ったリーダーに振り回される組織・集団の価値って何なのだろうか?
今こそ、個人主義に走る方が、各々の自由と幸せと平和の追求になるのではないだろうか?

それを映画を見て感じた。

組織の「カタチ無き」守るべきもの

映画『新聞記者』:組織と権力に対し個人がどうあるべきか考えさせられる名作

映画を見て感じた事。
内閣府の官僚の台詞であった。

これも国を守る大事な仕事だ。

そう言って、真実を捻じ曲げ、チカラ無き個人を不幸にしていく。
意図的に。

そして組織、いや権力者の指示と圧力で実行した個人は、良心の呵責に苛まれる。
誰も幸せにならない。
得られるのは権力者の富と組織の現状維持だけだ。

なぜそんなことをするのか?
「国を守るため」
では、その国とは何なのだろうか?

安定した政権を維持させることが
この国の平和と安定に繋がる。

そういう台詞があった。
それは所謂権力者のためってことではないだろうか?
守るべき国とは本来『国民』のはずだ。
でもこの映画の内閣府官僚の国とは『政権』になっている。
守るべき『国』というものがカタチ無き概念になってしまい、
気付けば権力者の私腹を肥やすために多くの人が不幸になっている。

これは企業でも同じだ。
会社のためだと言いながら、倫理や道徳に反することをやってしまう。
利益のため、いや私利私欲のために。
間違った方向に進んでしまうのなら、本当に組織が存在する意味はあるのだろうか?

独身だからこそ道徳を貫ける

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映画『新聞記者』:組織と権力に対し個人がどうあるべきか考えさせられる名作

ではなぜ「間違ったこと」が横行しているのか?
いくら権力者のパワーといえど、その他のメンバーで集団で戦えば勝てるはずだ。
その1つの答えを、映画の中で僕は得られた。

家族のために責任を取るしかなかった。
お前、子供が生まれるらしいな。

だいたいは家族を人質に取られる。
大事な人に危害が及ぶぞと暗に脅してくるのだ。

そう、人は大事な人のために己を殺してしまう。
自己犠牲で間違ったことをせざるを得なくなる。

家族も小さな集団であり、組織だ。
その小さな組織を守るために、大きな組織に屈することは往々にしてある。

だからこそ、独身者が最後の砦だ。
独身者には守るべき者はいない。
残念ながら。
でも、だからこぞ道徳・人生観・倫理・哲学のために闘える。
いざとなれば、所属する組織を辞めればいいのだから。

道徳・人生観・倫理・哲学、本来あるべき道に正すためには、
時に不退転の決意で闘う必要がある。
それに守るべき別の存在があると、闘いきれない。
だから、これからは独身者こそ世界を正すチカラがあると僕は映画を見て思った。

インターネットが普及し、グローバル化した現代。
多様性を求めている現代。
そんな現代こそ、これからは組織から個人にシフトチェンジしていくと思う。
独身者こそ、正しい道のために闘え、真の幸せを追求できると僕は信じている。

映画『新聞記者』:組織と権力に対し個人がどうあるべきか考えさせられる名作

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