20XX年〇月△日(休職から166日目)
初めて心療内科に言った時。
医者に言われたこと。
まずはしっかり休みましょう。
休職して、ゆっくり休めば良くなりますよ。
休職して約2ヶ月目に医者とカウンセラーに言われたこと。
頑張り過ぎです。
何もせずダラダラ過ごして下さい。
もっと自分を大切にしてください。
サトウサンは自分が思うよりずっと重症なんですよ
ゆっくり休んだつもりだったのに、「頑張り過ぎ」と言われ、訳が分からなかった。
やりたいことをやることができた。
今まで出来なかったことが、やっと念願叶ったこともあった。
休み方が分からなくなった。
いまは、少しだけ分かる気がする。
あの時は休めてなかったんだって。
休めたっていうのは、
「自分のカラダが正直になれていること」
「本来の自分に戻れること」
なのかもしれない。
いまは、休むってどういうことか?
この質問に対して、こう答えたいと思っている。
友人との食事にて
平日にも関わらず、友人から食事のお誘いがあった。
友人Aは結婚しており、今回は奥様とお子様も一緒だ。
結婚式以来、2度目のご対面。
まあ営業職で初対面の人と会話することにも慣れているし、いつも通りでいいか。
すると、自分自身に愕然とする。
いざお会いすると、思ったように気の利いた言葉が出ない。
働いていた時にはすんなりコミュニケーション取れていたのに。
あの時なら、相手の表情や会話、仕草を観察し、間を取りながら余裕を持ち、
自分は言葉少なく相手が心地よく話し続けられる術を持っていたのに。
これがブランク,スランプってやつか。
営業の現場感を失っていることにガッカリorz。
だが一方で、自分自身に違う変化も感じた。
例えばお冷の用意といったマナー。
昔はその空間に超集中して、気を張り詰めながら対応していた。
どこか我ながら形式的で義務感があった。
ところが今回は自然とやっていた。
義務感ではなく、顔を認識した人間に対し、ココロから役に立ちたいと思っていた。
今まではロボットがプログラムされた作業をしていたのが、
初めてココロが通った感じがする。
人と話す時に不器用で上手く話せない。
相手が喜んでくれることを率先したい。
これが本来の僕なのかもしれない。
帰り道気付いたこと
帰り道は友人Bに車で送ってもらった。
有難い。
友人Bは本当に良い奴で、人として尊敬している。
普段は自分のことを凄く低く評価していて、自虐ネタで皆を笑顔にしてくれる。
しかし、友人が困っている時に面倒事を自ら率先して行動してくれる。
自分が出会ってきた多くの人々なら気付かぬ振りして逃げることも、
彼はむしろ自ら渦中に飛び込み手を差し伸べる。
ナチュラルに当たり前のように即行なので、あれが素なのだろう。
そんな友人Bの人間性を僕はいつも見習っていた。
一方、友人Bと趣味は共通ではなく、会話が途切れることがしばしば感じた。
ところが、今日の帰り道は会話が途切れることがない。
いや、途切れたのかもしれない。
でも、どちらからともなく自然とお互いが話したいことを話し始め、
それが不思議と会話が続く。
思えば、働いていた時と違って、頭がクリアに感じられる。
自然と言葉が出てきて、自然と会話が紡がれる気がする。
前に主治医に言われた。
適応障害って、「適応し過ぎ」障害なんです。
過酷な環境に適応してしまって、自分を殺してしまうのが適応障害なんです。
そうか、この約10年間。
仕事で人の役に立てるように適応し過ぎてしまって、
自分を殺し続けてしまっていたんだ。
だから、働いていた時には、友人と話しても言葉が出てこない時があったんだ。
これが休めたってことなのかな。
今まで「通常」だと思っていた状態が、「異常」だったことに初めて気付いた。
帰宅後の倦怠感
帰宅したら、急に疲れが。
さっきまであんなに高揚していたのに。
片付けて、部屋着に着替えた瞬間。
ベッドに倒れこみ、全身からチカラが抜けた。
ボォーっとしてしまい、意識は半分くらいしかない感覚。
え!?これだけで疲れたの!?
就業時や休職直後なんて、毎日何かしら行動していたじゃん!
だいたい出掛けて、夜遅くならないと家に帰らない。
それが普通だったのに。
もしかして、それも「普通」じゃなかった?
今まで無意識に頑張り過ぎていたの?
「普通」にしようと無理していたってこと?
そうか、もともとの僕は、このくらい疲れやすかったんだ。
それなのに無理して適応しようとし過ぎてしまったから、
いつも言葉が出てこない感じだったんだ。
これが休むってことなんだな。
本来の自分に戻れた気がする。
脳ではなく、自分のカラダとココロに正直になれた気がする。
主治医とカウンセラーの言う通り、何もせずダラダラ過ごして良かったなと、今は思っている。
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